最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)2378号 判決 1998年4月28日
当事者の表示
別紙当事者目録記載のとおり
右当事者間の名古屋高等裁判所平成四年(ネ)第八三〇号特許権侵害行為停止等請求事件について、同裁判所が平成六年八月三一日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人雨宮定直、同熊倉禎男、同富岡英次、同田中伸一郎、同宮垣聡、同小川剛、同村橋泰志、同木村良夫、同太田耕治、同渡辺一平の上告理由第二点について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 上告人は、発明の名称を「単独型ガス燃焼窯による燻し瓦の製造法」とする特許権(特許番号一二一五五〇三、以下「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)の特許権者であり、本件発明の特許出願の願書に添付された明細書(以下「本件明細書」という。)における「特許請求の範囲」は、第一審判決別紙三記載のとおり、「LPガスを燃焼させるバーナーと、該バーナーにおいて発生するガス焔を窯内に吹き込むバーナーとを設けた単独型ガス燃焼窯の、バーナー口を適宜に密封できるようにすると共に、該燃焼窯の煙突口の排気量を適時に最小限に絞り又は全く閉鎖する絞り弁を設け、さらに前記LPガスを未燃焼状態で窯内に供給する供給ノズルをバーナー以外に設け、前記単独型ガス燃焼窯の窯内に瓦素地を装てんし、バーナー口及び煙突口を解放してバーナーからLPガス焔を窯内に吹き込み、その酸化焔熱により瓦素地を焼成し、続いてバーナー口及び煙突口を閉じて外気の窯内進入を遮断し、前記のバーナー口以外の供給ノズルから未燃焼のLPガスを窯内に送って充満させ、一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により前記の未燃焼LPガスを熱分解し、その分解によって単離される炭素を転移した黒鉛を瓦素地表面に沈着することを特徴とする単独型ガス燃焼窯による燻し瓦の製造法」というものであり、また、本件明細書における「発明の詳細な説明」は、第一審判決別紙二の記載に同三記載の補正をしたものである。
2 被上告人中濃窯業株式会社は、燻し瓦製造用単独ガス燃焼窯を製造して、その余の被上告人らのうち被上告人横山久子、同横山佐喜郎、同前田芳弘及び同横山昌司を除く被上告人高坂甚吉ら一七名、取下前被上告人小柴三郎ら四名及び横山武一(以下「被上告人高坂ら」という。)に販売し、被上告人高坂らは、右ガス窯を使用して燻し瓦を製造していた。
3 被上告人高坂らが実施していた燻し瓦の製造方法は、瓦素地の焼成後、同一の窯内で数時間の冷却時間を置いてその燻化を開始するものであるところ、燻化を開始すると窯内の温度は徐々に低下し、燻化開始時及び燻化終了時の窯内温度は、ほぼ第一審判決別紙九記載のとおりであって、例えば、被上告人高坂甚吉の製造方法において、燻化開始時の窯内温度は、窯上段が摂氏八八〇度、下段が摂氏八七〇度、燻化終了時の窯内温度は、窯上段が摂氏八五〇度、下段が摂氏八二〇度であり、横山武一の製造方法において、燻化開始時の窯内温度は、窯上段が摂氏八九〇度、下段が摂氏八八〇度、燻化終了時の窯内温度は、窯上段が摂氏八六〇度、下段が摂氏八四五度である。
二 本件は、被上告人高坂らが第一審判決別紙五のガス窯を使用して同七の製造方法によって燻し瓦を製造した行為が上告人の本件特許権を侵害し、また、被上告人中濃窯業が右ガス窯を製造販売した行為が特許法一〇一条二号に規定する特許権の侵害に当たり、また、同被上告人が被上告人高坂らと意を通じて前記の本件特許権侵害行為をしたと主張して、上告人が被上告人らに対し損害賠償を請求するものであるところ、原審は、右事実関係を前提として、次のように判断し、上告人の請求を棄却すべきものとした。
1 本件明細書の特許請求の範囲の記載は、燻化開始時の窯内温度と燻化終了時の窯内温度とを区別していないところ、燻化開始時の窯内温度に比べ燻化終了時の窯内温度の方がかなり低下することに照らすと、本件発明は、窯内温度が摂氏一〇〇〇度「付近」で燻化を開始し、摂氏九〇〇度「付近」で燻化を終了することを意味するもの、すなわち、燻化中の窯内温度が常に摂氏一〇〇〇度「付近」ないし摂氏九〇〇度「付近」の範囲内にあることを意味するものと解する余地がないではなく、右のように解すべきものとすると、被上告人高坂らの実施する燻し瓦の製造方法が本件発明の燻化時の窯内温度を充足しないことは明らかである。
2 仮に、燻化中一時的にでも窯内の温度が右温度範囲内にあれば足りると解すべきものとした場合、右「付近」の意味する幅が問題となるが、特許請求の範囲及び発明の詳細な説明のいずれにも、右「付近」の幅を判断するについて参酌すべき内容はない。特許請求の範囲に記載された右燻化時の窯内温度は、特許発明の技術的範囲を画する要件であり、燻化温度について摂氏一〇〇〇度ないし摂氏九〇〇度「付近」という摂氏一〇〇度程度の幅を設けているから、「付近」の意義は摂氏一〇〇度よりもかなり狭い幅を指すことは明らかである。したがって、被上告人高坂らの実施する燻し瓦の製造方法は、本件発明の特許請求の範囲にいう燻化時の窯内温度を充足するものではない。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 本件において、特許請求の範囲の記載は、前記のとおりであり、瓦素地の焼成後に未燃焼のLPガスを窯内に送って充満させ、摂氏一〇〇〇度ないし九〇〇度「付近」の窯内温度と焼成瓦素地の触媒的作用により未燃焼LPガスを熱分解し、その分解によって単離される炭素を転移した黒煙を瓦素地表面に沈着するという構成を有し、本件発明における燻化時の窯内温度は、このような構成に適した窯内温度として採用されていることが明らかである。また、発明の詳細な説明には、本件発明の作用効果として、窯内で炭化水素の熱分解が進んで単離される炭素並びにその炭素から転移した黒鉛の表面沈着によって生じた燻し瓦の着色は、在来の方法による燻し色の沈着に比して少しも遜色がないと記載され、本件発明における燻化温度は、このような作用効果をも生ずるのに適した窯内温度として採用されていることが明らかである。したがって、本件発明の特許請求の範囲にいう摂氏一〇〇〇度ないし摂氏九〇〇度「付近」の窯内温度という構成における「付近」の意義については、本件特許出願時において、右作用効果を生ずるのに適した窯内温度に関する当業者の認識及び技術水準を参酌してこれを解釈することが必要である。
2 原審は、特許請求の範囲及び発明の詳細な説明のいずれにも「付近」の意義を判断するに足りる作用効果の開示はないというが、右のとおり、特許請求の範囲及び発明の詳細な説明には、「付近」の意義を解釈するに当たり参酌すべき作用効果が開示されているのであって、右「付近」の意義を判断するに当たっては、これらの記載を参酌することが必要不可欠である。
3 原審は、前記のとおり、本件発明は窯内温度が摂氏一〇〇〇度「付近」で燻化を開始し摂氏九〇〇度「付近」で燻化を終了するものであるとか、「付近」の意味する幅は摂氏一〇〇度よりもかなり少ない数値を指すというが、前記窯内温度の作用効果を参酌することなしにこのような判断をすることはできないのであって、このことは、右窯内温度が特許請求の範囲に記載されていることにより左右されるものではない。右参酌をせずに特許請求の範囲を解釈した原審の判断には、特許法七〇条の解釈を誤った違法があるというべきである。
四 右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由がある。したがって、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、特許請求の範囲における「付近」の解釈等につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)
当事者目録
名古屋市中村区那古野一丁目三九番一二号
上告人 ニイミ産業株式会社
右代表者代表取締役 新美治男
右訴訟代理人弁護士 雨宮定直
熊倉禎男
富岡英次
田中伸一郎
宮垣聡
小川剛
村橋泰志
木村良夫
太田耕治
渡辺一平
岐阜県美濃加茂市本郷町九丁目一八番三七号
被上告人 中濃窯業株式会社
右代表者代表取締役 板津雅春
右訴訟代理人弁護士 櫻井彰人
同 本巣郡本巣町文殊一九二三番地の二
被上告人 高坂甚吉
愛知県安城市小川町志茂二三四番地
被上告人 横山久子
同所
被上告人 横山佐喜郎
愛知県安城市里町証文山三〇番地一
被上告人 前田芳弘
同 小川町志茂二三四番地
被上告人 横山昌司
兵庫県三原郡南淡町阿万東町四九四番地
被上告人 山口瓦株式会社
右代表者代表取締役 山口康一
岐阜県不破郡垂井町表佐八七一番地
被上告人 丸治製瓦株式会社
右代表者代表取締役 多和田邦男
同 加茂郡坂祝町黒岩一三八七番地の九
被上告人 株式会社兼松製瓦工業
右代表者代表取締役 兼松智久
京都府向日市寺戸町殿長一六番地
被上告人 株式会社瓦熊
右代表者代表取締役 石井秀夫
兵庫県三原郡西淡町松帆櫟田二〇六番地の一二
被上告人 兵庫瓦産業株式会社
右代表者代表取締役 島田勇
同 松帆古津路七〇四番地
被上告人 井上瓦産業株式会社
右代表者代表取締役 井上捷治
愛媛県越智郡菊間町佐方三九番地
被上告人 オチ新瓦産業株式会社
右代表者代表取締役 越智告
三重県鈴鹿市野町九九番地
被上告人 杉野敏武
兵庫県三原郡西淡町松帆古津路八六八番地
被上告人 兵庫窯業株式会社
右代表者代表取締役 岡田貞夫
同 津井一八九〇番地の一
被上告人 大丸瓦産業株式会社
右代表者代表取締役 山下済
岐阜県加茂郡坂祝町深萱二四〇番地
被上告人 丹羽靖
愛知県高浜市田戸町五丁目一番地二三
被上告人 神谷國茂
三重県久居市新町一一〇〇番地の二
被上告人 有限会社北角建設工業
右代表者代表取締役 北角きよ子
愛知県渥美郡田原町大字野田字弥蔵一七番地
被上告人 岡田實
同 高浜市田戸町七丁目六番地一四
被上告人 有限会社神國製瓦
右代表者代表取締役 神谷國茂
右二一名訴訟代理人弁護士
小坂志磨夫
梨本克也
群馬県甘楽郡甘楽町大字福島一四五七番地
被上告人 小林瓦工業株式会社
右代表者代表取締役 小林進
(平成六年(オ)第二三七八号 上告人 ニイミ産業株式会社)
上告代理人雨宮定直、同熊倉禎男、同富岡英次、同田中伸一郎、同宮垣聡、同小川剛、同村橋泰志、同木村良夫、同太田耕治、同渡辺一平の上告理由
目次
第一、原判決の概要 1頁
第二、上告理由の要旨 9頁
第三、上告理由第一点について 11頁
第四、上告理由第二点について 43頁
第五、上告理由第三点について 76頁
第六、上告理由第四点について 91頁
第七、上告理由第五点について 103頁
第一、原判決の概要
一、本件は、上告人の有する「単独型ガス燃焼窯による燻し瓦の製造法」についての特許第一、二一五、五〇三号(特許出願日 昭和四六年六月八日、特許出願公開日 昭和四八年一月二九日、特許出願公告日 昭和五八年四月一九日、特許登録日 昭和五九年六月二七日。以下「本件特許権」といい、その特許にかかる発明を「本件特許発明」、本件特許発明にかかる方法を「本件特許方法」という)の侵害事件に係わるものであり、
(イ) 被上告人中濃窯業株式会社(以下「中濃窯業」という)は窯業用窯の製造販売を業とし、その他の被上告人は燻瓦の製造販売を業とするが、被上告人中濃窯業の製造販売にかかる第一ないし第二イ号物件の燻し瓦製造用単独型ガス燃焼窯(当事者間にはその構成について若干の争いがあるが、その詳細について原判決の認定の対象になっていないので、以下単に「本件ガス窯」という)を購入使用して第一ないし第二イ号方法(その構成について当事者間に若干の争いがあるが、後述の燻化温度を除き原判決の認定の対象となっていないので、以下単に「イ号方法」という)により燻し瓦の製造販売を行った他の被上告人の行為が本件特許権を侵害したことにより、上告人が蒙った損害の賠償を求め、
(ロ) 本件ガス窯は本件特許発明にかかる燻し瓦製造方法にのみ使用されるものであるから、本件特許の出願公告日以降被上告人中濃窯業が本件ガス窯を製造販売した行為は、本件特許権の間接侵害に該当し、また、被上告人中濃窯業は、右の侵害を熟知しながら本件ガス窯を製造し、その販売に当って被上告人らに燻し瓦をイ号方法によって製造するよう指導説明して本件特許侵害を勧めた共同不法行為に該当しそれにより上告人が蒙った損害の賠償を求め、
(ハ) 本件特許出願の公開後で、かつ、被上告人中濃窯業に対し上告人が警告を行った日の後である、昭和四九年一月一日から本件特許の出願公告日の前日である昭和五八年四月一八日までの間に被上告人中濃窯業が行った本件ガス窯一一二四基の製造販売について、特許法六五条の三、一項にもとづく補償金の支払を求め、たものである。
二、本件特許発明の願書に添付した明細書(但し、特許法六四条の規定により出願公告決定後の昭和五八年一二月七日付にて補正後のもの、甲一の一、甲八、以下「本件明細書」という。)によれば、本件特許発明の特許請求の範囲は、以下のとおり記載されている。
「LPガスを燃焼させるバーナーと、該バーナーにおいて発生するガス焔を窯内に吹込むバーナー口とを設けた単独型ガス燃焼窯の、バーナー口を適時に密封できるようにすると共に、該燃焼窯の排気量を適時に最少限に絞り又は全く閉鎖する絞り弁を設け、さらに前記LPガスを未燃焼状態で窯内に供給する供給ノズルをバーナー以外に設け、前記単独型ガス燃焼窯の窯内に瓦素地を装てんし、バーナー口及び煙突口を開放してバーナーからLPガス焔を窯内に吹き込み、その酸化焔熱により瓦素地を焼成し、続いてバーナー口及び煙突口を閉じて外気の窯内新入を遮断し、前記のバーナー口以外の供給ノズルから未燃焼のLPガスを窯内に送って充満させ、一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により前記未燃焼のLPガスを熱分解し、その分解よって単離される炭素を転位(上告人註。「転移」の誤記である。)した黒鉛を瓦素地面に沈着することを特徴とする単独型ガス燃焼窯による燻し瓦の製造法。」
原判決は、後述のとおり、右特許請求の範囲にかかる本件特許発明を構成要件AないしⅠの九つの要件に分説した上で、被上告人中濃窯業を除く被上告人らが本件ガス窯を使用して燻瓦の製造のために実施したイ号方法と本件特許を比較するに際し、右九つの構成要件のうち構成要件Hの温度条件に関する事実のみにつき、イ号方法を認定し、比較し、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属しないと、判断したものである。
すなわち、原判決は、イ号方法及びその構成要件AないしⅠの該当性についてのいくつかの争点のうち、専ら<1>イ号方法における燻化温度が何度であるかという事実認定、及び、右認定に基づき<2>イ号方法の構成要件H(「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により前記未燃焼LPガスを熱分解し、」)の該当性について検討の上、
(一)各イ号方法における燻化温度について、
被上告人中濃窯業を除くその余の被上告人それぞれの燻化方法に関し、燻化開始時及び燻化終了時の各窯温度は別紙九「燻化温度一覧表」記載のとおりである、と認定し(原判決の引用する第一審判決。以下「第一審判決」という。三九頁六ないし一〇行、右別紙九「燻化温度一覧表」は本書に表1として添付した。)、
「右被告らが燻化温度を右のように設定しているのは、燻化温度を右温度よりも高くすると炭素被膜が瓦素地から剥離してしまうことがあり、高品質の製品が得られないとの認識を有しているためであると」認定し(同三九頁末行ないし四〇頁二行)、
(二)更に燻化方法に関し、
「燻化温度は、燻し瓦の製品の品質を決定する重要な要素でおるが、窯によって差があるため、瓦製造業者は、それぞれ自己の窯における適正な燻化温度を把握して、その温度の管理に意を用いているのであるから、各自が燻化を開始している最高温度を五℃以上も上回った温度で燻化を開始することは考えられないというべきである」と認定し(同四一頁八行ないし四二頁一行)、
(三)前記構成要件Hについて、
「燻化開始時から終了時までの窯内の温度が一〇〇〇℃ないし九〇〇℃付近の範囲内にあることを意味するものと解する余地がないではなく、右のように解すべきものとすると、被告らの実施しており、あるいは実施していた方法が構成要件Hを充足しないことは明らかである。また、仮に、右構成要件が、燻化開始時から終了時までの間に、一時的にもせよ、窯内温度が技術の範囲内にあれば足りると解すべきものとした場合には、本件明細書の「特許請求の範囲」の記載をみても、右の「付近」がどの程度の範囲のものを意味すると解すべきかを判断するに足りる記載はないし、また、「発明の詳細な説明」の記載をみても同様であるが、右構成要件自体において既に一〇〇℃の幅を設けている上、既に述べたとおり、燻化温度は燃し瓦の製品の品質を決定する重要な要素であって、瓦製造業者が燻化を開始している最高温度を五℃以上も上回る温度で燻化を開始することは考えられないのであるから、右構成要件Hにいう『付近』の意味について、原告の主張するように大きい幅(上告人註。一〇〇℃程度)をもつものと解することはできない。」と認定し(同四三頁四行ないし四四頁八行、原判決8頁末行~9頁四行)、
(四)その上で、
「なお、控訴人は、本件特許出願当時、燻瓦製造の温度管理の誤差が大きかったこと及び窯内部の温度差が大きかったことからも、右『付近』の意義は、大きい幅の温度を表現しているものと解すべきである旨主張するが、右の温度の設定は、その性質上、単なる温度の測定の誤差とは異なり、特許発明の技術的範囲を画する構成要件として設定された温度の許容範囲を示すものであるから、実際上温度管理の誤差が大きく、窯内部の温度差が大きいことをもって、特許請求の範囲において特許出願人が自ら限定した燻化開始温度の範囲を大幅に拡大して解すべき理由とすることもできず、」
「被告中濃窯業を除くその余の被告らの行う燻し瓦の製造方法が本件発明の技術的範囲に属するものであると認めることはできず、また、本件ガス窯が本件発明の実施にのみ使用する物であると認めることもできないので、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がない。」
と結論したものである(原判決9頁六行~10頁3行、第一審判決)。
第二、上告理由の要旨
第一点 原判決の被上告人中濃窯業を除くその余の被上告人のそれぞれの燻化方法に関し、燻化開始時及び燻化終了時の各窯温度を前記燻化温度一覧表のとおりとした認定および右被上告人らは「各自温度管理をかなり厳格に行っており、右燻化開始の最高温度を五℃以上も上回った温度で燻化を開始することは考えられない。」との認定には、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則若しくは採証法則違背があるか、または、審理不尽、理由不備の違法がある。
第二点 原判決の本件特許発明の構成要件中Hの解釈には、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈の誤り、審理不尽、理由不備、経験則違背、採証法則違背の違法がある。
第三点 原判決には、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲の均等の範囲に属することを審理・認定しなかった点につき、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈の誤り、審理不尽、理由不備、経験則違背、採証法則違反の違背がある。
第四点 原判決には、被上告人中濃窯業に対する特許法六五条の二にもとづく補償金請求につき、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな事項についての判断遺脱、審理不尽、理由不備、経験則違背、採証法則違反の違背がある。
第五点 原判決には、被上告人中濃窯業に対する共同不法行為にもとづく損害賠償請求につき、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな判断遺脱、審理不尽、理由不備、経験則違背、採証法則違反の違法がある。
なお、原判決の対象の上告人の請求は、多岐の法律上の根拠に基づくが、原判決の認定は極めて短かく、上告人の請求・主張について個々に応答していないし、全く応答されていない部分もある。このため、上告人は、原判決における同一の箇所の判示につき異なる請求についての判示として上告事由を記載せざるを得なかった。判断遺漏については、判決書に記載されていないが、原審で主張されていた事実およびその結論が判決の結論に影響を及ぼすことを上告事由として明らかにする必要が生じた。上告事由第一ないし第五は、関係する判示・認定事実等について一部重複するが、法律上は別個の上告事由であり、また、右の理由により、上告事由によってはやや長文にわたらざるを得ないが、ご斟酌ありたい。
第三、上告理由の第一点について
原判決の被上告人中濃窯業を除くその余の被上告人のそれぞれの燻化方法に関し、燻化開始時及び燻化終了時の各窯温度を前記燻化温度一覧表のとおりとした認定および右被上告人らは「各自温度管理をかなり厳格に行っており、右燻化開始の最高温度を五℃以上も上回った温度で燻化を開始することは考えられない。」との認定には、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな経験則若しくは採証法則違背があるか、または、審理不尽、理由不備の違法がある。
一、被上告人らの燻化温度の認定について
1. 原判決は、「被告中濃窯業を除くその余の被告(上告人註。被上告人)らが現在使用しており、あるいは、前に使用していた本件ガス窯において、燻化方法として、・・・焼成時の最高温度は九〇〇℃台の一〇〇〇℃に近い温度から一一五〇℃付近の温度までであるが、焼成終了後、数時間の冷却期間を置いてから燻化を開始し、燻化を開始すると窯内の温度は徐々に低下していくものであるところ、燻化開始時及び燻化終了時の各窯温度は、ほぼ別紙九「燻化温度一覧表」記載のとおり(ただし、被告丹羽靖については、燻化開始時の温度は上段が八七〇℃、下段が八八〇℃、燻化終了時の温度は上段が八二〇℃、下段が八一〇℃)である。」
「右被告らが燻化温度を右のように設定しているのは、燻化温度を右温度よりも高くすると、炭素被膜が瓦素地から剥離してしまうことがあり、高品質の製品が得られないとの認識を有しているためである」と認定している(原判決第四項において引用する第一審判決(以下、単に「第一審判決」という)三八頁末行ないし四〇頁二行)。
2. 右認定は、第一審判決三八頁および原判決8頁に引用された甲二、四二、四三、乙五二ないし六五、乙六六の一、二、乙六七ないし六九、乙七〇の一、二、乙七一、七三ないし七六、乙八二の一ないし三、乙八三ないし一一九、証人興津計介、同中村渡、同荒川憲、同森田清勝の証言の各証拠及び弁論の全趣旨に基づいている(第一審判決)。そして、認定された上下限の温度の値は、被上告人提出の各陳述書(乙五六ないし六五、六六の一、六七ないし六九、七〇の一、七一、九七ないし一〇二)に示された値そのままである。
しかしながら、右認定は、以下の理由により、明らかに経験則若しくは採証法則違背にもとづく事実の誤認があり、また審理不尽、理由不備の違法がある。
3. 原判決の認定した燻化温度の上限の値は、ほとんど全ての被上告人(被上告人北角建設工業、同岡田實、同神田製瓦(同神谷國茂)を除く。)について、八九〇℃ないし八八〇℃に揃っている。このように燻し瓦の製造のことき伝統的な窯業においてかかる高温処理の上限が、本件特許請求の範囲の「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」の九〇〇℃をわずか一〇℃または二〇℃下回る温度でピタリと揃うということ自体、<1>瓦の燻化方法の技術内容、<2>温度測定技術上の実態及び<3>被上告人中濃窯業のカタログ、特に原審判決が「その認定に反する証拠として信用性がない」とする根拠として依拠した甲二のカタログが、むしろ逆に全く信用性に欠けること(詳細は後述する)に鑑み、極めて不自然であり、原判決のごとく上記乙各号証の陳述書の記載を、そのまま措信することは経験則・採証法則に反する。
(一) そもそも原審で取調べられた証拠によれば、燻化作業における燻化時における窯温度は、窯の癖、瓦の原料、瓦の量、密度、積み方によりばらつきのあるものである。
そして、この点については、原判決自身も「同じ会社の製造した窯でも、個々の窯には癖があるため、焼成時の最高温度及び冷却時間並びに適切な燻化温度は、窯によってばらつきがある。」と認定する(第一審判決四〇頁三ないし五行)。また、ほぼ争いのない第一イ号物件目録によれば、各被告によって様々な型式の各ガス窯を使用しており、しかも、同一被告であっても数種類の型式のものを使用している。
しかるに、前記認定にも拘らず、原判決は燻化開始時における窯温度についてのみ、各被上告人の陳述書である前記各号証に記載された極めて画一的で殆ど同一値の燻化開始時における窯温度を採用し、これをそのまま認定しているのである。
従って、原審の前記認定はこの点で既に、明らかに経験則に反し、また理由に齟齬のあるものである。
(二) 更に指摘されるべきは、原判決が、甲二六ないし三九、四三、四五及び四六、並びに五〇及び五一の各書証、並びに証人中村渡の証人尋問の結果を軽視している点である。すなわち、
(1) 甲二六ないし三九の各号証は上告人が聴取り作成して提出された調査表であるが、これらに示されている「燻化に入った温度」は九五〇℃から九〇〇℃である。右のうち甲三〇を除く各号証は本件訴訟の当事者でない者に関しており、その信憑性は極めて高い。かかる信憑性の高い証拠に右のように九〇〇℃を越える値が示されているに拘らず、被上告人らについては全員について、九〇〇℃を越える温度が示されず、多数について僅かにこれを下回る八九〇℃という温度が供述されていることは極めて不自然である。
また、右甲号証および中村渡証言は、いずれも九〇〇℃を超える温度で燻化を開始する方法が、多くの焼瓦の製造業者により採用されており、九〇〇℃を超えると「炭素被膜が剥離する」との原判決の認定が独自の判断であることも示している。
(2) 加えて、原審において、上告人は、その平成五年四月三〇日付控訴人準備書面(一)の二一頁に述べたとおり、被上告人中濃窯業とは異なったガス窯のメーカー及びそのユーザーに対して本件特許侵害を理由とする別訴(名古屋地方裁判所昭和五九年(ワ)第三八三八号及び第三八三九号)を提起していたが、同事件の被告らは燻化開始時の窯温度について、ユーザー九名中八名が九〇〇℃ないしその付近の温度である旨答弁したものの、右被告らは構成要件Hの該当性を争わなかった事実を主張した。被上告人は、右主張事実を明らかに争わないから、原審は、右主張事実を弁論の全趣旨により、認定することができたはずである。右の事実に鑑みると、前記本件訴訟における被上告人らの燻化開始時の窯温度についての主張の不自然さはより顕著となる。
(3) 甲三〇の存在は原審判決に対して更に重要な問題の存在を示している。すなわち、甲三〇に示された被上告人株式会社兼松製瓦工業の燻化開始時における窯内温度は九五〇~九四五℃であることを示しており、右温度は原判決が依拠した乙七〇の一に記載された兼松製瓦工業の燻化開始時温度上段八八〇℃、下段八七〇℃とは全く異なっている。右甲三〇を、甲四一の具体的記載と併せて検討すれば、極めて形式的な乙七〇の一よりも、はるかに信憑性を有するものと判断するのが合理的である。
右の指摘は、乙七〇の二のみでなく、同様に全く同一の形式、文言を用いて被上告人らが作成した前記各陳述書全体の全てにも言えることであり、これら乙号証の陳述書の信頼性には明白な疑念があり、これに依拠した原判決が採証法則に違背していることは明らかである。
(4) 四二及び四三の各号証はやはり第三者である訴外有限会社中村製瓦の代表取締役中村渡の陳述書及び同社の窯の温度の測定記録であり、同号証に示されている燻化開始時の窯の温度は約九三〇℃から九一〇℃である。
ところで甲四二において特に注目されるべきは、同証一〇頁一二行目以下の
「又、いろんな作業をしたり、自宅に戻って(隣ですが)いることもあり、付きっきりでしているわけでなく、燻化を開始するのが遅れて約八九〇度とか八八〇度で燻化を開始することもありますが、それでも製品には殆ど影響せず素人の方が見られればまったく区別は付かないと思います。ただし、私のような専門家から見ると、九三〇度乃至九一〇度ぐらいで燻化する方が八九〇度、八八〇度ぐらいで燻化するより、燻しの光沢がいいと思い、当社の場合は、この温度を目安としてやっています。」
との記述である。同様の事実は、同人の証人尋問の調書二一頁六行以下にも示されている。右中村渡は、第三者でもあり、その供述の内容も自然であり、不合理な点がなく、極めて信用性が高いものである。そうすると、訴外有限会社中村製瓦のガス窯においても、燻化は八九〇℃、八八〇℃ぐらいにおいても可能ではあるが、約九三〇℃より九一〇℃において行うことがより品質の高い燻し瓦を得ることができることが認定できる。
(5) 瓦の製造業者がわざわざ品質の悪い瓦を製造することは考えられないことであり、上記各証拠及び証言に示された事実にも拘わず、被上告人全員が九〇〇℃を下回る温度(特に大多数の被上告人においては八九〇℃又は八八〇℃という、九〇〇℃を一〇℃~二〇℃という極めて小さい範囲で下回る温度にすぎない。)で燻化をなすというのはおよそ措信し難い。
(6)(イ) ところで、証人興津において、
燻化開始温度の最も高い温度の場合は何度までですかとの質問に対して
「八九〇度を境に二度か三度くらいまでが精一杯です」
上限三度、八九三度がぎりぎりの上限だが、もし、八九五度だとかいう温度になったとしたらどうですかとの質問に対して
「いや、そんな高い温度をこえますと、剥げが出て、炭素被膜が剥がれるので、そういうことはありません。高い方は絶対に三度以上上げません。」
と、八九五度以上で燻化を開始した場合は、炭素被膜がめくれ製品 として使い物にならなくなってしまう
旨繰返し証言している(同証人平成四年二月二一日付証人尋問調書一七ないし二一頁)。しかし、この証言は前に指摘した甲二六ないし三九、四二、四三、五〇及び五一の各書証、並びに証人中村渡の証人尋問の結果より真実に反するものと言わざるを得ない。更に同興津の証言においては、例えば、燻化開始温度に関し、上限については八九〇℃であると記載は繰り返してはいるが、下の値については「それじゃ、燻化開始温度の低いほうは何度くらいまでなら燻化開始できるんですか。」との被上告人代理人の質問に対しては「八八〇度までです。」と答えておきながら(証人尋問調書一八頁三行以下)、「八九〇度より上は二、三度であるが、下のほうは一五度とか、二〇度低いこともあるということですね。」と、上告人代理人の質問に対して、今度は「はい。」と答えている(同二九頁二行以下)。このような矛盾ある証言に信頼を置くことができないことはそれ自体明らかである。
(7) 乙八三ないし九六、一〇三の陳述書も証人興津の証言と同様の趣旨を記載している(これらはすべて、被上告人ら代理人の印刷した質問状の質問2「燻化開始温度が、もし上記許容範囲を越える高い温度で開始された場合には、どのような欠陥が生じますか。また、そのような欠陥の生じた瓦は、製品として使えますか。」に対し、全て殆ど同一の文言で「ハクリが出来る(出る、生ずる)、使用出来ない。」と回答したものである。)が、右の回答は、訴訟が進んだ段階で且つ証人興津及び中村の証言の後においてそれを意識した被上告人ら代理人の質問状に対してなされたものであり、且つその回答の内容は全く画一的であり、合理的な採証法則からみて信用しえないことは明白である。仮に、右各陳述書の内容が正しく、原判決の認定のごとく九〇〇℃を超えると剥離が生ずるとの認識が正しい、とすると、上告人の顧客や、甲二九ないし四三の作成者、前記別訴の多数の被告らは、すべて不良品を製造販売していたということとなり、到底、これら陳述書の内容は信用できない。
(8) 前記原審において提出した上告人の準備書面(一)に記述した瓦研究の権威である内藤隆三博士(元通産省工業技術院名古屋工業技術試験所長)が、業界の燻化温度の実情について、「殆どすべての業者は九五〇ないし九二〇度といった九〇〇度以上で燻化しているのが実情である」旨述べている。右記述について、改めて内藤隆三博士の陳述書(平成六年一一月一〇日付同人作成の陳述書)を入手し、本日付上申書により提出するので、是非ご参酌賜りたい。右内藤博士の陳述は、公的立場にあり、且つ業界の実情を知る権威ある専門家によるものであり、きわめて信頼性のできるものである。そして、右陳述は、上告人の燻化温度についての主張を支持していることの重大性に注目すべきである。
(9) 以上のとおりであり、原判決における被上告人らの燻化温度について認定は取調べ済みの証拠によって既に示された瓦の燻化方法についての技術常識および証拠に反する誤ったものであることは明らかである。
4.測定技術との関係
(一) 原判決の燻化開始時及び終了時における窯温度についての認定は、以下に述べる測定技術上の問題をも全く無視して、被上告人らの陳述書の内容が明らかに不自然、不合理であるのに、これを全く批判検討することなく採用し、そこに示されている通りになされたものであり、およそ正確性に欠け、経験則に違背した事実認定である。
(二) 窯の温度測定は、通常窯の上下二ヶ所に熱電対(サーモカップル)を取り付け、ここより補償導線で瓦窯からの輻射熱の影響を受けない受温度指示計まで信号を導き、温度指示計の示すところを読み取ることにより行われている。
(1) ところで、この温度指示計として一般に使用されているのは、針で示す一〇℃単位の目盛りの刻まれた可動コイル型のもの(なお、検証のなされた被上告人らのうち瓦製造業者は全てこの型を使用していた。)であるが、一〇℃ないし二〇℃単位の目盛りの刻まれた記録紙に記録してそれを読み取るということも行われている。従って、二〇℃を単位とする記録紙に印刷したものを読み取る場合は、言わずもがな、一〇℃単位の目盛りに対して針で示されたところを読み取る場合においても、その読み取り行為において既に一〇℃内外の誤差が生ずることは経験則の示すところである。
なお近年においてはデジタル式で一度刻みにより表示されているものも増えている。デジタル表示方式による場合においては、右のような記録紙の読み取りにおける誤差は生じないが、JIS規格においてさえこのような熱電対の計測方法そのものにおいて一〇〇〇度の場合 七・五度の誤差を許容しているのである。
従って、温度指示計の表示は特に針方式あるいは記録紙方式においては、読み取り及び機器の機能上の限界から経験則に照らし、実際の温度との間にかなりの誤差が存在するのである。
(2) 前記の点に増して重大なのは、熱電対を使用した可動コイル型の温度指示計によって示される温度は零接点補正器を使用していない場合、外気温の影響を直接的に受けることである。すなわち、零接点補正器を使用していない場合において温度指示計に表示される温度は、「窯内温度」から「外気温」を差引いた温度である。言い換えれば、表示される温度に外気温を加えたものが実際の窯内の温度である。ところで、瓦製造業界においては通常零接点補正器は取付けられていない(前記内藤隆三の陳述書二項参照)。従って、通常瓦製造業者の窯に関して、特に気温の高い夏においては表示される温度は、外気温の三〇℃程度、実際より低く表示され、極めて不正確な値しか示さない。すなわち、八九〇℃が表示され、外気温が三〇℃の場合には実際の窯温度は九二〇℃になっているものである。この原理については、上申書に添付した添付資料二の二において示されている。そこに述べられているように熱電対は2種類の異なった金属線の先端を接合した部分と測定端子が違う温度状態のときその温度差に応じた電圧が生じることを利用し、温度の測定を行うのである。従って、前記接合部分につき零接点補正器による補正を行わない限り、外気温の影響を受け、正確な温度測定はできないのである。
なお、この事実は、例えば乙八二の一に添付された燻化温度等一覧表において示された訴外丸惣産業株式会社において焼成温度を夏場において冬場より三〇℃程低い表示温度で焼成を行っていることからも推認される。
(3) 以上に述べた測定技術上の問題から考えると、窯の温度は測定がどのようになされたかについて精査した後において、しかも、誤差を勘案し幅をもってしか認定できない筈である。而るに原判決は右の点について何ら充分審理もせず、陳述書に記載された値をそのまま認定したものであり、採証法則に反することは明らかである。
5. 以上のとおりであり、被上告人らの瓦の燻化における窯の燻化温度について原審判決の認定には経験則若しくは採証法則違背があるか、または審理不尽、理由不備の違法があることは明らかである。
二、被上告人中濃窯業の各カタログ(甲四五、四六、五〇、五一)について
原判決は、又、右に述べた認定に反する証拠として、上告人が提出した証拠について「右認定に反する証拠(甲三〇、四一、五〇、五一)は、右各証拠、殊にこれらにより認められる右甲五〇、五一よりも後に被上告人中濃窯業が作成した本件ガス窯のカタログである甲二には、それまでの右窯を使用してきた瓦製造業者らの使用実績を参考に、燻化開始の最高温度を九〇〇℃を下回る温度に修正している事実に照らしてたやすく、信用することができず、他に認定を覆すに足りる証拠はない」との認定を第一審判決に追加している(原判決八頁四~一〇行)。
しかしながら、原判決が甲三〇、四一、五〇、五一を斥けた理由は明らかに不充分であり、また、採証法則の違背にもとづく重大な事実誤認がある。
1. 前述のとおり、原判決が「たやすく信用できない」(同八頁四~一〇行)と評価した甲五〇、五一は、それぞれ被上告人中濃窯業自身が昭和四七年一一月頃および昭和五八年八月以降に作成配布した本件ガス窯のカタログであるところ、右各カタログには次の記載がある。
(一)甲五〇のカタログ
(1)二枚目裏6~28行
「この方法に使用するガス炉は―
(イ)「バーナー口を完全に密封出来るようにすると共に、バーナー口以外から外気が炉内に全く侵入しないように構成した倒焔窯としてその炉体に生ガスを適時に送給する供給ノズルを配置する。」
(ロ)「煙突口は絞り弁を設けて適時に排気量を最小限に絞り又は全く閉止しするようにする。」
(ハ)「ガス炉内に成形乾燥した瓦素地を積込み、一次空気を混合したLPガスを開放されたバーナー口に臨ませたバーナーに送って燃焼し、その燃焼焔の周部から二次空気を接触して完全燃焼を行い九五〇℃~一一〇〇℃までに一二時間~二〇時間を要し瓦素地の締焼焼成を完了する。」
(ニ)「バーナー口を完全に密封すると同時に煙突口の絞り弁を充分に開き、炉内には供給ノズルから生ガスを約一時間にわたって供給し、供給完了と同時に絞り弁をしめる。」
(ホ)「その供給当初は炉内室に残存する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、終わると同時に生ガスが充満し九〇〇℃~九八〇℃付近の炉温と焼成瓦素地の触媒的作用とによって、炭化水素の熱分解が進行しそれによって単離する炭素及び黒鉛が瓦素地表面に沈着し、遊離水素と一部の生ガスの混合物が煙突口の絞り弁から外部に排出する。」
(ヘ)「その排出時にアフターバーナーにて再燃焼させ、ばい煙を出さない。」
等が大きな特長となっています。」
(符号(イ)ないし(ヘ)は、上告人が付した。)
(2)三枚目表4項、4~8行
「ベンチュリーバーナー12本にて瓦の耐火度に応じて(九五〇℃~一一〇〇℃)12時間~20時間締焼させ、その後バーナーを密閉し煙突口を絞り弁を設け(アフターバーナー)炉内温度が九五〇℃~九八〇℃になった時点で生ガスを1時間供給します。(次頁(図2)」
(3)三枚目裏「(図2)焼成データー」には、一〇五〇℃ラインというグラフ(一〇五〇℃で焼成した場合のことである)において、一〇〇〇℃より若干下がった温度で「燃焼生ガス入」との記載と矢印があり、九〇〇℃をやや下った温度に「生ガス入止」との記載と矢印がある。
以上のとおり、甲五〇のカタログの記載(1)ないし(3)は、被上告人が本件ガス窯を本件特許方法の実施のために使用するものとして説明し、構成要件Hとの関連では「九〇〇~九八〇℃付近」の炉温で燻化を行うことを薦めていることは余りに明らかである。
2. ところで、甲五〇の右(イ)ないし(ヘ)の文章と、本件特許明細書(甲一の一)の文章を比較すると次のとおりである。
甲五〇の前記(イ)は、甲一の一3欄2行目以下の
「バーナー口を完全に密封できるようにすると共に、前記バーナー口を封鎖することによって炉内に外気が侵入し得ないように構成した倒炎式窯とし、その炉体に前記LPガスを未燃焼状態の生ガス状態で、コックの開放によって送給できる供給ノズルを、バーナーへのガス燃料送給路から分岐して設ける。」と殆ど同じである。
甲五〇の前記(ロ)は、甲一の一の3欄8行目以下の
「煙突口には絞り弁を設けて適時に排気量を最小限に絞り又は全く閉鎖し得るようにする。」と殆ど同じである。
甲五〇の前記(ハ)は、甲一の一3欄10行目以下の
「焼成窯内に、成型乾燥した瓦素地を装填し、一次空気を混合したLPガスを開放されたバーナー口に臨ませたバーナーに送って燃焼し、その燃焼炎の周部から二次空気を接触して完全燃焼を行わせ、約一二時間掛けて窯温一〇〇〇度C付近に昇温し、以上によって瓦素地のあぶりと締焼焼成を完了する。」と殆ど同じである。
甲一の一の前記(ニ)は、甲一の一の3欄17行目以下の
「バーナー口を完全に密封すると同時に煙突口の絞り弁を充分に開き、炉内には供給ノズルから生ガスを約一時間三〇分にわたって供給する。」と殆ど同じである。
甲五〇の前記(ホ)は、甲一の一の3欄20行目以下の
「その供給頭初は炉内室に残在する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、それが終わると同時に生ガスが充満し九〇〇度C~九八〇度C付近の窯温と焼成瓦素地の触媒的作用とによって、LPガスの主成分たるC3H4・・・の炭化水素の熱分解が進行し、それによって単離する炭素及び炭素の転位によって結晶化した黒鉛が瓦素地表面に沈着し、遊離水素と生ガスの混合物のごく一部が煙突口の絞り弁から外部に逃失する。」と殆ど同じである。
以上のとおり、被上告人中濃窯業は本件特許発明を完全に盗用して本件ガス窯を販売し、購入者に本件特許方法を勧誘説明してきたことは明瞭である。
3. 次に、甲五一のカタログ二枚目裏には、同様に「ニューファーネスK-一二五〇燻瓦焼成ガス炉仕様書及び概要」の4項に「ベンチュリーバーナー12本にて瓦の耐火度に応じて(九五〇℃~一一〇〇℃)12時間~20時間締焼させ、その後バーナー口を密閉し煙突口を絞り弁を設け(アフターバーナー)炉内温度が九五〇℃~九八〇℃になった時点で生ガスを1時間供給します」との記載がある。又、同三枚目裏、4項には「ニューファーネスS-一三〇〇」について全く同一の記載がある。
甲五一のカタログは、被上告人らが、昭和五〇年八月に作成したものと主張しているものである(平成六年三月二四日被上告人ら準備書面(一二)、Ⅱ、一項)。右力タログ作成時被上告人中濃窯業は、既に二五〇基の据え付けたとしており(三頁)、従って、実際に採用されていた燻化条件を知らなかったと言うことは絶対にありえない。
4. また、甲四五および四六については、原判決は「原判決の認定に反する証拠」として指摘さえしていないが、右はいずれも被上告人中濃窯業の作成した本件ガス窯のカタログであり、甲四五は、甲五一と同じ、甲四六は別のカタログである。甲四五、四六にも、甲五一と全く同じ記載、すなわち「九五〇℃~九八〇℃で」燻化を行うことが「仕様書及び概要」の各4項に記載されている。
5. 被上告人中濃窯業は、工業用炉の専門メーカーであり、右の如く昭和四七年および昭和五〇年頃に作成した自らの製品について三種以上のカタログに、その使用方法として燻化の温度を明確に記載し、しかも、更に八年後の昭和五八年八月に本件特許が公告されるまでの間かかるカタログを使用し、特許公告後の昭和五九年二月頃にはじめて甲二のカタログのように右の明瞭な記載を削除した事実からみて、「甲五〇、五一のカタログに記載された燻化の温度条件は現実に使用されない温度であった」との後の弁解を真実として認定することは、到底合理的な採証法則に合致しないものである。
とりわけ甲五〇、五一の信用性を否定した原判決が依拠した証人森田清勝(被上告人中濃窯業の取締役である)の証言は、技術的に詳細を極めており、かかる被上告人中濃窯業が、一〇年近くも誤ったデータのカタログを放置するとは措信し難いことに加え、右森田証言によれば、中濃窯業は、本件ガス炉を納入した焼瓦製造業者に対し、焼成方法の指導を行っていたものである。すなわち、同証人の平成元年九月六日証人調書19丁表末二行~同丁裏4行に「 中濃窯業さんのほうで焼き方について、こういうふうな焼成をしてくれとか、こういうふうにやってくれということを指導なさるんですか
基本的には、窯を納めるときに指導はいたします。
自分のところとしては、こういうふうにこの窯を使用してくれと。そういう指導をする。
使い方からはじまりましてね。」
と記録されているが、右証言部分は、窯のメーカーとそのユーザーとの関係から極めて通常のことである。そうすると、甲五〇、五一のカタログの前記記載(特に、燻化のためのLPガスの導入時の温度)は、現実に被上告人中濃窯業により他の被上告人らに推められ被上告人らはこれを現実に使用していたことを合理的に推認させうるものである。
6. 次に、甲二のカタログは同カタログの他の頁である甲四七と併わせ、昭和五九年二月以降に被上告人中濃窯業により作成されたものであるが(右作成時期については、甲四七に昭和五八年および同五九年一月までに購入した顧客が記載されていること、および、平成三年二月二八日の証人森田清勝の証人調書12丁表から明らかである)、奇妙なことに右甲二のカタログには、焼成燻化の温度条件が具体的に記載されておらず、焼成温度と焼成サイクルの関係についてのグラフが掲載されているだけである。かかる変更は、甲五〇、五一のカタログにおいて前述のように詳細かつ具体的に使用方法を記載していた事実に徴して、極めて不自然である。
しかも、右のグラフは、甲五〇の図2に比較して著しく小さく、グラフの目盛りも狭く大変に読み難いものである。
かかる甲二のカタログをもって「殊にこれらにより認められる右五〇、五一よりも後に被控訴人中濃窯業が作成した本件ガス窯のカタログである甲二には、それまでの右窯を使用してきた瓦製造業者らの使用実績を参考に燻化開始の表面温度を九〇〇℃を下回る温度に修正している事実」を認定したことは、合理的な採証法則に全く相反するものである。
三、被上告人らの温度管理に関する認定について
1. 原判決は、「右被告ら(上告人註。被上告人中濃窯業株式会社を除くその余の各被上告人等)は各自温度管理をかなり厳格に行っており、右の燻化開始の最高温度(上告人註。八九〇℃)を五℃以上も上回った温度で燻化を開始することは考えられない。」(第一審判決四〇頁六ないし八行)と認定する。(この事実認定は、後述する本件発明の構成要件Hにおける「付近」の語につき狭く解釈することの第一の根拠となり、同解釈に基づき、被上告人らの各イ号方法は本件特許の技術的範囲に属さないと結論されている。)
2. 右認定は、原審判決摘示の各証拠のうち、特に乙七三及び七四、八三ないし九六、一〇三、一〇五及び一一九号の各号証、並びに証人興津計介の証人尋問の結果に基づくものであるが、同認定は、以下に述べる理由により、明らかに経験則若しくは採証法則違背があるか、審理不尽、理由不備の違法がある。
3. すなわち、前記被上告人中濃窯業株式会社を除くその余の各被上告人らにおいて八九〇℃を五℃以上も上回った窯温度で燻化開始することのないように厳格に温度管理するなどということは、<1>そもそも前述した窯内の温度測定技術上の問題より、技術上不可能であり、且つ<2>そのように厳格な温度管理を行うことが瓦の燻化技術上不要であり、従ってそのようなことをする筈もないことは証拠上も明確である。更に<3>原審判決が認定の根拠とした前記各証拠自体信用性を欠くものであることも明らかである。
(一)窯内の温度測定の限界
(1) 前述のとおり、現在の測定技術の下においては
<1> 五℃の範囲で測定することは測定機器の性能上においてそもそも不可能であり、
<2> また、瓦の製造業者において、通常使用されている可動コイル型の温度指示計では、外気温の影響を直接に受け外気温分だけ低い温度を表示するので、正確な窯内の温度の表示をし得ない。
以上の通り、五℃の範囲内の誤差の中において測定することさえ不可能なのである。
(2) 加えて、原審判決も認定しているように、燻し瓦の製造において使用される窯内の温度が一定でないことは(原審判決においても窯の上段と下段において異なった温度も認定している。)、当事者間において争いのない事実である。そして、上段と下段の温度差は、原審判決別紙九(本件特許に添付した表1)をみてさえも、五〇℃程度に達するものもあり(被上告人大丸産業株式会社)、傾向的には上段に比べ下段の方が温度は低いが必ずしも定性的にそのようになるのではなく、上段と下段と窯温が同じ場合もあり(被上告人兵庫窯業株式会社の燻化開始時の窯温度についての原審の認定)、また下段の方が上段より温度が高い場合もある(被上告人丹羽靖についての原審の認定)。
従って、原判決が、本件ガス窯の如何なる部分をもって最高温度を認定したのかも不明である。被上告人らにおいても単に二ヶ所を計測するだけ(なお、被上告人兵庫窯業株式会社においては通常窯の上部のみしか計測を行っていない。-証人興津計介証人尋問調書一二頁)では正確なるガス窯の最高温度を得ることはできない。
(3) 従って、被上告人らの使用している本件ガス窯で原審判決の認定するように八九〇℃を五℃上回った温度で燻化を開始することがないよう(例えば八九五℃以下で)厳格に本件ガス窯内の温度管理をすることは不可能であることは、各証拠を経験則に照らせば明らかである。
(二) 燻化において厳格なる温度管理がなされえないこと
(1) 甲二五(「粘土瓦製造技術と将来への指針」田中稔著、第八章「燻し瓦焼成と操炉技術」)の一二八頁に記載された焼成温度曲線によると、ダルマ窯につき燻化開始時において窯下部と窯上部において約九三〇℃と約八三〇℃という約一〇〇℃にも及ぶ差異が当然のこととして示されている。そして、原審判決の認定しているところから見ても、窯内において五〇~六〇℃の温度差が存在するにもかかわら拘らず、燻化に支障のないことが認められる。これらの事実は、瓦の燻化における許容される窯の温度が相当に幅のあるものであることを容易に推認させる。この点につき、証人中村渡は、燻化における開始温度が二〇℃程度の差異が存在しても燻化それ自体に大きな影響がないことを証言しているが(同証人尋問調書三五頁)、右証言は、前記事実に鑑みるに、信用性は高いものである。
なお、九〇〇℃を越えても、瓦の燻化が通常可能であることは甲二六ないし三九、四二及び四三号証、並びに証人中村渡の証人尋問の結果より明らかである。
(2) 従って、原審判決が認定するような八九〇℃以下で五℃単位において窯内の温度を厳格に管理することの必要性はそもそも存在しない。
そして、このように相当な大きな窯内の温度差にも拘わらず、被上告人兵庫瓦産業のように通常一ヶ所のみしか窯内の温度測定を行っていないのは、厳格なる温度管理が不要であり、且つそれがなされていないことを示すものである。
(3) 以上のとおりであり、被上告人らが厳格に温度管理をなしているとの原審判決の認定が既に取調べられた証拠及び経験則に照らし誤認であることは明らかである。
(三) ところで、本認定に関しても、上告人が原審の準備書面(一)で引用したとおり、内藤博士は、
「窯業、特に瓦の場合温度管理は相当の幅をもって行われているのが実情であり、一〇度以下の単位で管理ができているところはない。
温度管理は、サーモカップルにより計測して行われているが常に高温に晒されているため劣化が早くもし精度を保とうとすれば保守交換を頻繁に行わなければならないが、費用、手間に加え、それだけ精度をそもそも求めていないのが業界の実情である為、されていないのが実情である。」
と述べており、かかる瓦研究の権威者の言は、正に前記上告人の主張を支持するものである。
(四) なお、本件認定につき、原判決が依拠した乙八三ないし九六及び一〇三号証並びに証人興津計介の証言が信用するに足りないものであることは第三、一、3柱書および同3(6)、(7)項で述べた通りである。また、乙一〇五ないし一一九号証についても、乙八三ないし九六及び一〇三号証について述べたところと同様に、訴訟争点が明らかになった後に、証人中村の証言に対処するため意図的に作られた質問状であり且つ、同一人が指示したように殆ど同一の文言で答えられているものであって信用するに足りない。
四、以上のとおり、被上告人らによる窯の温度管理についての認定は、技術上不可能で且つその必要性もないものを被上告人らが行っていると認定するものであり、前述のとおり、そこに経験則若しくは採証法違背があるか、または審理不尽若しくは理由不備の違法があることは明らかである。
第四、上告理由の第二点について
原判決には本件特許発明の構成要件Hを不当に狭義に認定ならびに解釈した、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな事項についての法令解釈の誤り、審理不尽、理由不備、経験則・採証法則違背の違法がある。
一、本件明細書に記載された本件特許発明の技術思想
1. 本件明細書に記載された本件特許発明の特許請求の範囲は、前第一、二記載のとおりである。
なお、原判決は、右特許請求の範囲を、以下のとおり構成要件に分説して判示している。
A LPガスを燃焼させるバーナーと、該バーナーにおいて発生するガス焔を窯内に吹き込むバーナー口とを設けた単独型ガス燃焼窯の、
B バーナー口を適時に密封できるようにすると共に、
C 該燃焼窯の煙突口の排気量を適時に最小限に絞り又は全く閉鎖する絞り弁を設け、
D さらに前記LPガスを未燃焼状態で窯内に供給する供給ノズルをバーナー以外に設け、
E 前記単独型ガス燃焼窯の窯内に瓦素地を装てんし、バーナー口及び煙突口を開放してバーナーからLPガス焔を窯内に吹き込み、その酸化焔熱により瓦素地を焼成し、
F 続いてバーナー口及び煙突口を閉じて外気の窯内進入を遮断し、
G 前記のバーナー口以外の供給ノズルから未燃焼のLPガスを窯内に送って充満させ、
H 一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により前記の未燃焼LPガスを熱分解し、
I その分解によって単離される炭素を移転した黒鉛を瓦素地表面に沈着すること
J を特徴とする単独型ガス燃焼窯による燻し瓦の製造法。
2. 本件明細書の「発明の詳細な説明」の項には、本件特許発明の技術分野、解決課題とその克服、本件特許発明の作用効果について、以下のように記載されている。
(一) 本件特許発明は、「LPガスを加熱燃料として使用する単独型ガス燃焼窯によって瓦の締焼と燻し着色とを、供給ガスの燃焼と非燃焼とにより一貫的に施す燻し瓦の製造法に関する」ものである(甲一の一特許公報-以下〔本件公報」という-1欄33行ないし36行、甲八訂正公報3項)。
(二)本件特許発明の解決すべき課題、目的
(1)従来技術
燻し瓦は、従来だるま窯によって瓦素地を焼成したのち、松葉或いは松薪等の燻し材料を供給してから焚口に耐火栓を施し、これを粘土で塗りかためて、焼成された焼成瓦素地表面に黒鉛、炭素を沈着して着色する製造法が一般的に行われていた(本件公報1欄37行ないし2欄5行)。
(2)従来技術の問題点
従来技術には以下のような問題点が存した。
(イ) 一個の焚口に固形燃料及び燻し材料を供給するものであり、窯内の火廻りについても窯自体に個性があるから、就練技術者が焼締及び燻蒸着色の操作を施しても一級品の製造得率が不良であるばかりでなく、
製造操作が極くわずらわしい。その上、近時は松葉、松薪材等の固形燻し材料が不足し、従って価格も上昇しているので、燻し着色のコストが高くなっている(同2欄5行ないし13行)。
(ロ) 従来公知の、製瓦窯の瓦台上に納めた瓦素地を焚口のロストル上で燃焼する固形燃料の火熱により加熱して締焼を施し、そのあとで焚口に固形可熱物を突っ込んで空気口を閉じ、ついでその可燃物から発生したガスが窯内に充満した頃を見計らって煙突を閉じ、その後に前記の窯に設けた流し込み道からコールタールを窯底に流し込んで締焼瓦に燻色をつける瓦の焼成方法は、瓦素地の締焼までは固形燃料を使用し、瓦の燻色付のみにコールタールを使用するものであるから、瓦焼きの操作が複雑になって、その実施は必ずしも容易でない(同欄13行ないし24行)。
(ハ) 従来公知の陶磁器芯の表面に炭素被膜を付着した抵抗材料を作成するため、陶磁器芯を炭素付着温度に予熱し、その予熱陶磁器芯を、炭素を多く含む被膜ガスを供給する付着室に移送して炭素被膜を生じさせる方法は、瓦素地の焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施すことすなわち、一貫的製造が不可能であった(補正公報4項)。
(3)従来技術の克服
前記の従来技術の問題点を克服するため、本件特許発明は、焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施すべく、LPガスの燃焼焔を発生させて吹き込むバーナーと、未燃焼のLPガスを吹き込むバーナー以外の供給ノズルとを単独型ガス燃焼窯に設け、LPガスの有効な使い分けにより前記の一貫的製造を施すことを特徴とした特許請求の範囲記載の方法を採用したものである(補正公報4項)。
(三)作用効果
本件特許発明は、右のような方法を採用したことにより、以下のとおりの作用効果を奏する。
(1) LPガスを加熱燃料として使用する単独型ガス燃焼窯により、瓦素地をガス燃料の燃焼による酸化焔熱により焼成したのち、バーナー口その他の窯の開口部を密閉して外気侵入遮断の処置を施し、窯内に同じガス燃料を燃焼させることなく送給して充満させ、一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により、未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地表面に沈着する操作を行うものであって、同じガス燃料の窯内への燃焼供給と、未燃焼の生ガス態供給とを使い分けて行い、燃焼供給により瓦素地の酸化焼成を施したあと、窯体の密閉処置を施してから生ガス態供給に切り換えるだけの操作で一貫的に燻し瓦製造を行い得るため、作業は著しく簡易となって、燻し色の着色のため従来公知な松葉などの燻焼、若しくはコールタールの流し込み燻焼などのわずらわしい操作が全く不要となる(本件公報4欄12行ないし15行)。
(2) 燻し工程における生ガスは松葉、松薪材、コールタールのように焚口、窯底などで燻し乾溜して燻煙を立ち上がらせ、窯内に充満させるものでなく、ガス形態であり、窯天井などから降りそそぐことが自由にできるから、窯内への充満に部分的な濃淡を生じさせないで燻し着色効果を均一にでき、焼締の温度の均一性と相俟って、一等品得率を優良にできる(同欄16行ないし23行)。
(3) 未燃焼ガスの着色効率を固形燻し材料を乾溜して使用する場合に比して極く高率化し、焼締め燃料コスト及び燻し着色燃料コストを共に低下し得る(同欄24行ないし27行)。
(4) 燃焼ガス焔を発生させて瓦素地の焼成に使用したLPガスの生ガス態供給により、窯内で炭化水素の熱分解が進んで単離される炭素、並びにその炭素から転移した黒鉛の表面沈着によって生じた燻し瓦の着色は、在来の燻し色の着色に比して少しも遜色がなく、ガス燃料の使用にも浪費を伴うおそれが全くなく、燃料効果、着色効果への使い分けによる燻し瓦の製造を著しく省力化できる(同欄27行ないし34行、補正公報5項)。
(5) 締焼きに固形燃料または重油を使用し燻し着色に松薪材(または松葉)を使用する従来法に比して、燃料コストを削減できる(本件公報4欄37行ないし末行)。
(四) 本件明細書の詳細な説明の項には、本件特許発明の実施例が一例挙げられている。そして、本件で問題となっている構成要件Hに関しては、「その(上告人注。生ガスの)供給頭初は窯内室に残在する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、それが終わると同時に窯内に生ガスが充満し、一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温と焼成瓦素地の触媒的作用とによってLPガスの主成分たるC3H8、C3H6、C4H10、C4H8等の炭化水素の熱分解が進行し、それによって単離する炭素及びその炭素の転移により結晶化した黒鉛が瓦素地表面に沈着し」(本件公報3欄20行ないし28行)との記載があるのみである。
3.(一) 本件明細書には、以上のように記載され、前記以外に、本件特許の課題、目的、作用効果についての記載は存在しない。
(二) 前記本件明細書記載の本件特許発明の特許請求の範囲、本件特許発明の課題、目的、作用効果によれば、本件発明に特許性を付与し、本件特許発明の特徴をなす技術思想として本件特許発明を特徴づけているのは、LPガスの燃焼焔を発生させて吹き込むバーナーと、未燃焼のLPガスを吹き込むバーナー以外の供給ノズルとを単独型ガス燃焼室に設け、LPガスの使い分けにより、瓦素地の焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施すという点にあることが明らかである。
(三) 従って、各構成要件に記載された本件特許発明の具体的な各構成は、右の技術思想を実現するために採用されているものとして、その意義を解する必要がある。
二、本件特許発明の出願過程における特許庁及び裁判所の判断
本件特許発明に関しては、特許拒絶査定、これに対する不服審判請求が成り立たないとする審決、この審決の取消請求訴訟における判決、無効審判請求に対する請求は成り立たないとする審決、無効審判における審決に対する取消訴訟における判決等がなされており、これらが、本件特許発明の技術的範囲を考察するための重要な資料となり得るものとして、原審において提出されているが、原判決には全く触れられていないので以下に指摘する。
1.審決取消訴訟判決(東京高等裁判所昭和五五年行(ケ)第二七三号審決取消請求事件、昭和五七年四月二六日言渡、甲四)
右は、特許庁が昭和五〇年審判第一〇三〇四号事件について昭和五五年七月三一日にした特許拒絶査定不服の審判請求が成立しないとする審決について、右審決を取り消すとしたものである。
右判決は、その理由二項において、本件特許発明の進歩性について、以下のとおり認定している。
「 本願発明においては、瓦素地の焼成後に、バーナー口その他の窯の開口部を密閉して外気の侵入を遮断する措置を行い、バーナー以外の別の供給口からLPガスを燃焼させることなく送給して、瓦素地面に黒鉛を沈着させ、燻化を行なうことができたものである。
そして、・・・(中略)・・・によれば、本願発明はその構成を選択することにより、作業性が著しく簡易となり、燻し着色効果を均一にすることができて一等品の得率を優良にできるという効果を奏することが認められるから、これらの効果は従来技術からは予期できなかった顕著な作用効果といわなければならない。」(一三丁表七行~裏六行)
2.特許無効審判請求に対する審決(昭和六〇年審判第七三〇九号、昭和六一年三月二〇日付審決。甲一一)
右は、本件特許発明についての無効審判請求に対し、特許庁が、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をなしたものである。
右審決は、理由中において、本件特許発明の特徴について、以下のとおり、認定している。
「 本件特許発明は、本件特許明細書の記載ならびに審査、審判、訴訟での経緯からいって、LPガスの熱分解によって瓦素地表面に黒鉛沈着させること、つまり、燻化剤燃料にLPガス(液化石油ガス)を用いることに、主たる特徴を有するものと認められる。」(二丁裏五行ないし一〇行)
3. 以上によれば、本件特許発明に関する審決取消訴訟の各判決及び無効審判請求に対する各審決において、特許庁及び裁判所は、「瓦素地の焼成後に、バーナー口その他の窯の開口部を密閉して外気の侵入を遮断する措置を行い、バーナー以外の別の供給口からLPガスを燃焼させることなく送給して、瓦素地面に黒鉛を沈着させ、燻化を行なうことができたこと」(前1記載の東京高裁判決)、あるいは「本件特許明細書の記載ならびに審査、審判、訴訟での経緯からいって、LPガスの熱分解によって瓦素地表面に黒鉛沈着させること、つまり、燻化剤燃料にLPガス(液化石油ガス)を用いること」(前2記載の審決)に、発明の進歩性や主たる特徴を有するものと認めるものである。
右事実は、本件特許発明の特徴である技術思想について上告人が前一3.、4.において主張したところを裏付けるものである。
三、本件特許発明に至るまでの技術開発の経過及び本件特許発明の産業社会にもたらした効果
前一及び二記載の各事情について、更に考究するため、本件特許発明に至るまでの技術開発の経過及び本件特許発明の産業社会にもたらした効果を、第一審及び原審において取り調べた証拠によって検討すると、証人荒川憲の証言、同中村渡の証言、同人作成の陳述書(甲四二)、田中稔作成の「粘土瓦ハンドブック」(技報堂出版株式会社昭和五五年一一月二五日発行、乙八)、各新聞記事(乙九ないし一二)等によれば、以下の事実が認められる。
1. 本件特許発明申請当時まで、燻し瓦の焼成、燻化は、ダルマ窯といわれる土を固めて作った窯が主流であり、この中に、粘土を成形した瓦素地を詰め、薪で焼成し、焼成終了後、燻化材料(松薪等)を投入し、焚口、煙突口を塞ぐなどして密閉し、燻していた。
右の窯は、製品のバラツキが大きく、一等品と認められるものは五〇~六〇パーセントに過ぎずに歩留りが悪く、焼成、燻化材料の投入等の作業も重労働かつ危険であり、燻化材料投入完了直後に焚口及び煙突口を塞がなければならないというように手間を要するものであった。また、とくに黒煙が作業場に充満し、近隣に拡散するため、作業環境が悪く、近隣から煤煙に対する苦情が耐えず、更に、燃料となる松薪が次第に入手困難となり、コストが上昇する等という著しい問題点があった。
このため、窯について、半倒焔式窯、重油等で焼成する窯等にするなど部分的に改良され、また、燻化材料も、重油を窯内に液体のまま投入するという改良はなされたが、これらの改良は、操作性、安定性、省力化などに優れず、一部で使用されたに過ぎない。
2.(一) 上告人の取引先の野口製瓦工場の代表者野口健男は、昭和四四年、上告人方を訪れ、上告人に対し、燻し瓦をLPガスで焼成できないだろうかと相談を持ちかけた。当時まで、LPガスで燻化するという試みは無かったが、前記の問題点を解決するため、上告人は、その開発を試みた。
(二) 上告人は、まず、それまで上告人が製造していた陶磁器用のLPガス焼成の単独窯(シャトル式、LPガス倒焔式焼成)をベースにし、焼成は、このバーナーを従来どおり使用し、焼成完了後、バーナーのダンパーを絞って空気を極端に減少させ、不完全燃焼状態にさせてLPガスを燻化のために窯内に送給するという方法を採用した。
しかしながら、右装置は、バーナー口周辺等から空気が流れ込むため、窯内の気体の状態が不安定で、小爆発を起こしたり、大量の不良品が出たりして、製品の不揃いが多く、実用化には不十分であった。
(三) そこで、上告人は、燻化の際、LPガスを燃焼させず、生ガスのまま、別のノズルから直接窯内に送給することを思いつき、計算、予備試験、試験窯の設計、築炉等により、焼成、燻化試験を繰り返した。
その結果、LPガスの燃焼焔を発生させて吹き込むバーナーと、未燃焼のLPガスを吹き込むバーナー以外の供給ノズルとを単独型ガス燃焼室に設け、LPガスの使い分けにより、瓦素地の焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施すという方法を発明し、これにより、品質、歩留り、操作性、経済性の全ての面において画期的な効果をもたらす本件特許発明を発明するに至った。
3. 本牛特許発明が画期的なものであったため、通産省の技術改善事業の適用を受け、上告人に対する注文も殺到し、同業界においては、数年の間に従来の方法は消滅し、本件特許方法のみを採用するようになった。
このように、本件特許発明がパイオニア発明であることは、明らかであるが、前記の経過によっても、その特徴は、前一及び二記載のとおり、LPガスの燃焼焔を発生させて吹き込むバーナーと、未燃焼のLPガスを吹き込むバーナー以外の供給ノズルとを単独型ガス燃焼室に設け、LPガスの使い分けにより、瓦素地の焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施すという点に存するのであることは明らかである。
四、構成要件H中の「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」の意義
1. 本件明細書の詳細な説明の項には、本件特許発明の実施例が挙げられている。そして、本件で問題となっている構成要件Hに関しては、「その(上告人注。生ガスの)供給頭初は窯内室に残在する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、それが終わると同時に窯内に生ガスが充満し、一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温と焼成瓦素地の触媒的作用とによってLPガスの主成分たるC3H8、C3H6、C4H10、C4H8等の炭化水素の熱分解が進行し、それによって単離する炭素及びその炭素の転移により結晶化した黒鉛が瓦素地表面に沈着し」(本件公報3欄20行ないし28行)との記載があるのみである。
2. 他方、本件特許発明の構成要件H中の「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」に関しては、本件明細書中に、前記実施例についての記載以外に、何らの記載もなく、右のように具体的な温度を選択した理由は見当たらない。
そして、前記実施例の記載からすると、「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」とは、瓦素地の焼締焼成完了後、燻化を行うに際し、焼成瓦素地の触媒作用とあいまって、送給して充満されたLPガス等の未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地表面に沈着するのに当時適切と考えられている温度、すなわち、通常の燻化を行なうの適切な範囲と考えられている温度として記載されているのに過ぎないことになる。
3. 前二記載の各審決及び審決取消請求に対する判決においても、前二2.記載の昭和六〇年審判第七三〇九号、昭和六一年三月二〇日付審決(甲一一)以外、燻化するための温度が問題となったことはない。右審決も、同理由中において、本件特許発明の産業上の利用性について、以下のとおり、認定しているに過ぎない。
「・・・には、なるほど、炭化水素を熱分解して黒鉛化するのに一二〇〇~二八〇〇℃とか一六〇〇℃以上とかの例が記載されているが、・・・(中略)・・・に開示されているとおり、瓦の燻化は瓦表面を燻し、着色するだけで、良質な黒鉛製品を得ようとするわけでないから、さほど高温を必要としないことは、当業者のむしろ技術常識というべきである。
しかも、本件特許発明におけるかような九〇〇~一〇〇〇℃程度の温度で、黒鉛成分による所望の燻し着色が得られることは、・・・・(中略)・・・に十分記載されているところである。したがって、審判請求人のいう理由では、本件特許発明か産業上の利用性を欠くことにはならない。」(三丁裏一四行ないし四丁表一二行)
また、これらの審決及び判決において、この温度についての構成が本件特許発明の特徴であるとか、本件特許発明に格別の作用効果をもたらすとか、あるいは、この温度を定めたことによって、本件特許発明の新規性、進歩性が得られたとかいうことは、全く認定されたことがない。
4. 本件特許出願当時の技術水準を検討すると、
(一) 本件出願当時、燻し瓦の燻化のために、適切な温度については、本件特許出願前後の当時の文献中で、以下のように考えられており、実際ダルマ窯使用当時から、この方法が採用されていた。
(1) 昭和二七年発行の窯業協会誌六〇巻寺田清著「くすべ瓦焼成窯の研究」(乙三六)
「被熱物をあらかじめ九〇〇~一〇〇〇℃に加熱しておき、加熱終了直後両方の燃焼窯に一時に・・・等の松伯(上告人注。「松柏」の印刷間違いであろう)類を投入し、・・・最後に投入した松等の乾溜溜出蒸気・・・を、あらかじめ高温に加熱された被熱物の表面に導くことによって達せられる。」(二三一頁)
(2) 昭和三一年五月五日発行の寺田清著「現物技術者の為の倒焔式加熱窯の理論と実際」(乙三七)
「温度に関しては約九〇〇~一〇〇〇℃即ち平均九五〇℃が最適値と考えられ・・・」(一四五頁)
「燻火時の被熱物の温度が九〇〇~一〇〇〇℃である時には極めて強固に附着して燻色を得る。」(一五二頁)
(3) 昭和四七年八月発行田中稔著「粘土瓦」(甲二五)
「燻化燃料の投入は、瓦素地の温度が九〇〇~一〇〇〇℃が適当とされ・・・」(一二六頁一四行)
すなわち、本件特許出願当時の技術水準によれば、右当時一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の温度で燻化を開始することが燻化に適切であることは、旧来技術として、極めて一般的に認められていたことが認められるはずである。
(二) なお、証人荒川憲の証言、同中村渡の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる同人作成の陳述書(甲四二)によれば、本件出願当時、燻し瓦の燻化のために、適切な温度については、以下の事実が、当業者にとって、周知であった。
(1) 窯の温度測定は、極めて誤差の大きいものであり、実際の温度との間にかなりの程度の誤差が存する(前記第三、一、4.)。
(2) 窯の上段と下段とでは、五〇℃程度の温度差の生ずる可能性があった(同第三、三、3、(2))。
(3) 窯によって個性が強く、また、窯に入れる瓦の粘土の土質による耐火温度、瓦の量、密度、積み方等により、二〇℃程度は異なる(同第三、一、3.、(一))。
(4) 前記のような誤差、差異に基づく温度の調整は、熟練者の勘に頼ってなされている。
5. 前一ないし三記載のとおり認定できる本件特許発明の特徴に、前1.ないし4.記載の燻化する温度に関する明細書の記載、各審決、審決取消訴訟判決の記載、本件特許発明の開発経過及び本件出願当時の技術水準を総合すると、構成要件H中の「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」は、
(一) これを選択することが、本件特許発明の特徴ではなく、また、これにより、従来技術と異なる何らかの格別な作用効果を期待するものではないこと、
(二) その果たす役割から考えて、単に未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着することができる相当な温度であれば、足りるものであること、
(三) 右相当な温度は、本件特許出願当時の同種技術の水準、知識に従って当然に定まるべきものであるところ、当時一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の温度で燻化を開始することが燻化に適切であることが、旧来技術として、極めて一般的に知られていたため、これを本件特許発明の構成要件として採用したものであること、
以上が、当然に、認められるべきである。
そうであるとすれば、構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」との文言は実質的に単にその燻化の温度が未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着することができる相当な温度を示すものと考えるべきである。
6. 仮に、前5.記載の主張が認められないとしても、前同様の理由から、「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」は、未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着することができる相当な温度であることを示す概括的な温度範囲であるから、右「付近」の解釈にあたり、前4.(二)記載の各事実を斟酌して、その幅を決するべきである。
そうすると、これらの事情に、右燻化開始温度について一〇〇℃という大きな幅を設けていることを考慮すると、構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」という際の「付近」とは、少なくとも、五〇℃程度の誤差までは含まれるものであり、一〇五〇℃ないし八五〇℃の範囲の温度は、全て、右構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」の文言に含まれるというべきである。
7. 更に、構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」が燻化の間、終始保たれることを意味しているか否かについて以下に検討する。
(一) 前5.記載のとおり、燻化の温度が未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着することができる相当な温度である方法である限り、構成要件Hを実質的に充足するものであるから、仮に、右温度が燻化の間、終始保たれる必要があると解する場合であっても、それが、未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着することができる相当な温度であれば、構成要件Hを充たすものということができる。
(二) 本件明細書の特許請求の範囲の項には、「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」が燻化の間、終始保たれることを要求するような記載も、これを示唆する記載もなく、また、詳細な説明の項にも、末尾のプログラムの一例を示す表に、僅かにLPガス供給終了時(燻化終了時ではない。燻化の現象は、供給終了後もしばらく継続するものと考えられる。)にも九〇〇℃以上を保っていることを示す例が掲げられているだけで、本文中には、その必要性ないし作用効果を明らかにする記載は、皆無である。勿論、出願過程における手続中で、そのような限定をしたことも、また、これを示唆するようなことを述べたこともなければ、そのような限定をしなければ特許とならなかったような事情もない。従って、右明細書末尾の表の記載のみをもって、本件特許発明が、燻化中、終始前記温度を保つことを要件とすると解することは、許されないことである。
(三) 本件特許出願当時の当業者の技術知識から考えても、前4(一)記載の各文献も、燻化開始時の温度について九〇〇℃~一〇〇〇℃を最適温度と述べているものとみることができ、燻化中、終始この温度を保つべきであると明確に述べている文献はない。
(四) 実際も、窯は、一〇〇〇℃近くに熱せられており、容易に冷えにくい構造となっているのであり、しかも、燻化の時間は、時間によって限られることが通常であるから、燻化の終了時期まで右の温度範囲にあることを要求する意味もないのである。
なお、実際の作業において、当業者にとって燻化終了温度が重要な意義を有しないことは中村渡の証言(同人証言尋問調書一六頁)より明らかである。更に、証人興津計介の証言においても、窯によって燻化終了温度が変化しても製品に異常のないことが明らかにされている(同人証人尋問調書三二頁)。
(五) 従って、構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」は燻化の間、終始保たれる必要のあるものではなく、燻化開始後、一時的にでも、右付近の範囲に入るような方法は、すべて同構成要件を充足するものである。
五、被上告人らの行為
1. 被上告人らの燻化開始温度に関する原判決の認定が経験則・採証法則に違反した誤認にもとづくものであることは上告事由その一(次第三項)で述べたとおりである。
2. 仮に、被上告人らが、すべてその主張するような燻化開始温度により、燻化を行なっているとしても、被上告人らは、すべて、未発生生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着して燻化を行なっていることは明らかであるから、被上告人の実施している方法は、本件構成要件Hを充足するものである。
3. 同様に、仮に、被上告人らが、すべてその主張するような燻化開始温度により、燻化を行なっており、しかも、仮に、上告人の前四5.記載の主張が認められないとしても、同6.の基準によれば、被上告人丹羽靖、同北角建設工業、同岡田實、同神國製瓦の四名を除くすべての被上告人の実施している方法は、本件構成要件を充足するものである。
六、原判決の誤り
1.(一) 原判決は、第三、一、2、(二)、(第一審判決四二頁二行ないし四三頁八行)において、
(1) 構成要件Hは燻化温度を「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」としており、燻化開始温度と燻化終了温度とを区別して記載してはいないところ、前認定の事実によれば、燻化開始時の温度よりも燻化終了時の窯内の温度の方がかなり低下するものであること
(2) 本件発明の明細書の「発明の詳細な説明」には、実施例の説明において、約一二時間かけて窯温一〇〇〇℃付近に上昇させて瓦素地のあぶりと焼締焼成を完了した上、窯内に生ガスを約一時間半にわたって供給し、一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温と焼成瓦素地の触媒作用とによってLPガスの主成分たる炭化水素の熱分解が進行する旨を記載し、また、その添付図面には生ガス供給開始時の窯温を一〇〇〇℃付近、供給終了時のそれを九五〇℃付近として図示し、供給開始時から供給終了時までに約五〇℃低下するものとしていること
を理由として、「右構成要件は、窯内の温度が一〇〇〇℃付近で燻化を開始し、九〇〇℃付近で燻化を終了することを意味するもの、すなわち、燻化開始時から終了時までの窯内の温度が一〇〇〇℃ないし九〇〇℃付近の範囲内にあることを意味するものと解する余地がないではなく、」と説示したうえ、
「右のように解すべきものとすると、被告らの実施しており、あるいは、実施していた方法が構成要件Hを充足しないことは明らかである。」と判示している。
(二) しかしながら、右の判示は、そもそも、構成要件Hが、「窯内の温度が一〇〇〇℃付近で燻化を開始し、九〇〇℃付近で燻化を終了することを意味するもの、すなわち、燻化開始時から終了時までの窯内の温度が一〇〇〇℃ないし九〇〇℃付近の範囲内にあること」を意味するものと解しているのかそうでないのか、全く明らかでなく、このような曖昧な判示により、上告人の請求に理由がないとしたものであるとすれば、それは、理由不備というべきであろう。
(三) さに非ずとしても、構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」は燻化の間、終始保たれる必要のあるものではなく、燻化開始後、一時的にでも、この範囲に入るような方法は、すべて同構成要件を充足するものであることは、前四記載のとおり明らかであり、前(一)の(1)及び(2)のような技術的な必要性に裏付けられないような漠然とした事実をもって、明細書の本件特許の請求の範囲及び発明の詳細な説明に実質的には勿論、形式的にも基づかずに、本件特許の請求の範囲の文言を限定解釈し、実質的に発明の範囲を狭く解釈するような認定をなすことは、明らかに経験則に違背するものである。
2.(一) 更に、原判決は、第三、2、(二)(第一審判決四三頁八行ないし四四頁八行)において、仮に、構成要件Hが、燻化開始時から終了時までの間に、一時的にもせよ、窯内温度が右の範囲内にあれば足りると解すべきものとした場合には、
(1) 本件明細書の「特許請求の範囲」の記載をみても、右の「付近」がどの程度の範囲のものを意味すると解すべきかを判断するに足りる記載はないし、また、「発明の詳細な説明」の記載をみても同様である
(2) 右構成要件自体において既に一〇〇℃の幅を設けている上、既に述べたとおり、燻化温度は燻し瓦の製品の品質を決定する重要な要素であって、瓦製造業者が燻化を開始している最高温度を五℃以上も上回る温度で燻化を開始することは考えられない
(3)(イ) 従って、右構成要件にいう「付近」の意味について、原告(上告人)の主張するように大きい幅をもつものと解することはできない ことを理由として、被告ら(被上告人)らの燻化温度は、右構成要件の範囲には含まれないと解するのが相当であると判示する。
(ロ) 加えて、原判決(控訴審判決)は、右(3)につき第三、三において「なお控訴人は、本件特許出願当時、燻瓦製造の温度管理の誤差が大きかったこと及び窯内部の温度差が大きかったことからも、右『付近』の意義は、大きい幅の温度を表現しているものと解すべきである旨主張するが、右の温度の設定は、その性質上、単なる温度の測定の誤差とは異なり、特許発明の技術的範囲を画する構成要件として設定された温度の許容範囲を示すものであるから、実際上温度管理の誤差が大きく、窯内部の温度差が大きいことをもって、特許請求の範囲において特許出願人が自ら限定した燻化開始温度の範囲を大幅に拡大して解すべき理由とすることもできず、」との判示を追加した。(原判決9頁5行~10頁3行)
(二) しかしながら、既に詳述したとおり、前記構成要件H記載の燻化温度は、未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着することができる相当な温度である方法である限り、構成要件Hを実質的に充足するものであるから、「付近」の概念が仮に明確でなくとも、上告人の主張する右のような温度に実質的に含まれるか否かを判断すれば足りるのであり、それは、十分な審理を遂げれば明らかになることであるから、原判決は、右構成要件の解釈を誤り、審理を十分に遂げなかった結果、経験則に違背する事実認定を行なったものである。
仮に、上告人の右主張を採用しないとしても、「付近」の意味を、本件特許発明の中核的な技術思想、温度設定の意義、出願当時の当業者の常識をもとに追究して明らかにすれば、前四、4.(一)、(3)記載のとおり、右「付近」の意義は明らかになるのである。従って、右についての審理を尽くさず、右のような認定をなしたことは、審理不尽、理由不備、経験則違背の違法があるというほかはない。
(三) 前(一)(2)及び(3)(イ)記載の事実認定も、明らかに経験則に違背するものである。すなわち、一方で構成要件自体において、九〇〇℃から一〇〇〇℃と一〇〇℃の幅を設けていることを指摘し、極めて右温度が概括的なものであることを認めながら、他方、「瓦製造業者が燻化を開始している最高温度を五℃以上も上回る温度で燻化を開始することは考えられない」と、前者の認定と矛盾する認定を行い、しかも、前四、4.(二)記載のとおり、窯温の測定、管理が極めて大まかに行なわれていることは、否定のしようがない事実であるのに、後述するとおり、明らかに信用性を欠く証人の証言や、一見して疑わしいことが明らかな被上告人らの作成した書面を信用して、右のような認定を行なっているものである。
(四) とりわけ、控訴審判決の前(一)(3)(ロ)の判示は、特許発明の技術的範囲ないし特許請求の範囲の解釈に徴して本件特許出願当時の燻瓦の製造業者の技術常識、技術水準(現実に実施されていた温度管理の有無とその誤差、瓦窯内部の温度が高いこと等を含む)を考慮すべきは判例上も当然とされている解釈に反するものであり、かかる技術常識や技術水準を考慮すべきでないとする判決例を見い出すことの方が、むしろ困難である。
また、原判決の「特許請求の範囲において特許出願人が自ら限定した燻化開始度の範囲を大幅に拡大して解すべき理由とすることはできない」との判示は、そもそも、原判決の認定した被上告人らの開始温度をとらえても九〇〇℃をわずかに一〇℃、二〇℃、五〇℃の範囲で下回るものであり、燻瓦の製造温度からみてこれを「大幅に拡大」したと非難されるべきものではないのみならず、右構成要件Hの温度条件の文言は、出願経過において公知文献や公知技術や拒絶理由を回避するために意識的に加えられたものでないことは、前述のとおりである。かかる場合には、むしろ逆に「出願人が自ら限定した」という事由をもって、制限的に解釈すべき理由はないことも、確立した法解釈であり、原判決の右判断は右確立した法解釈に反するものである。
七、よって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈の誤り、審理不尽、理由不備、経験則違背の違法があることは明らかである。
第五、上告理由第三点について
原判決には、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲の解釈において均等の範囲に属することを審理認定しなかった点につき、判決理論に影響を及ぼすことが明らかな事項についての法令の解釈の誤り、審理不尽、理由不備、経験則・採証法則違反の違法がある。
一、均等方法としてのイ号方法が本件発明の技術的範囲に属すること
1. 前述したとおり原審判決の認定するイ号方法が構成要件Hを文言上において充足することは明らかである。
しかしながら、イ号方法が前記構成要件H「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により前記未燃焼LPガスを熱分解し」を、窯温度(イ号方法は「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」)に文言上該当しないと仮定しても、イ号方法はいわゆる均等なる方法として本件発明の技術的範囲に属するものである。
2. 均等方法(物)が特許発明の技術的範囲に属することについて、
特許法第七〇条第一項は、侵害訴訟において特許権の及ぶ範囲である「技術的範囲」は特許請求の範囲の記載に基づいて定められなければならないとしている。しかも、この趣旨は、決して特許請求の範囲の単なる字句的な解釈のみを特許権の及ぶ範囲と捉えるとの趣旨ではなく、法的に同一と考えらる範囲、すなわち、いわゆる均等の範囲にまで特許権が及ぶものと考えられるべきである。すなわち、いわゆる特許制度は技術思想たる発明につき、その発明者にいわばその報償として自らの発明を独占的に実施する権利を与えるものであり、そしてそのことにより社会に対し技術開発へのインセンティブがもたらされるのである。しかるところ、「出願当初に、あらゆる侵害形態を想定してのクレームを記述することは不可能であり、もしそれを強要すると特許は極めて容易に迂回されてしまう。」すなわち、発明者がなした実質的な発明に対し、その一部分しか保護が与えられないこととなり、実質的な侵害を横行させてしまう。「そうなると特許取得のインセンティブ、ないし技術開発へのインセンティブが失われ、特許制度の目的に反することになる場合もあり得る」(中山信弘「工業所有権法上」三四七頁)のである。
特許法第七〇条第一項の解釈として、このように特許発明の技術的範囲を定めること、すなわち均等論を認めることは我が国の学説において通説であり、判例においても理論的に反対するものはない。然るところ、下級審の判例としては本年二月三日のボールスプライン軸受事件(平成三年(ネ)第一六二七号)について控訴審である東京高等裁判所の判決をはじめ、いくつかの判決例において均等論に基づき、侵害の事実を肯定している。御庁、最高裁判所の判決においても、合成樹脂ばらん代用品事件昭和五二年六月二〇日(オ)第一一八号)及び原木皮はぎ機事件(昭和六二年五月二九日、(オ)第三八一号)における判決において均等論に基づき侵害を認定した原審判決を肯認している。
なお、均等の範囲にまで特許の保護を及ぼすことは多くの諸外国においては確立した判例であり、WIPOにおける特許調和条約案においてその第二一条(二)(a)において「クレームは、クレームに表現された全ての要素だけでなく均等物をもカバーするものとして考慮されなければならない」との条項がおかれている。従って、前記均等の範囲まで特許権に基づく保護を及ぼすことは国際的調和をいう観点からも必要とされるところである。
3.均等の要件
このように特許請求の範囲に記載されたところと均等なる範囲にまで特許権に基づく保護が及ぶものと考えられるが、この場合においてその限界をどのように定めるかは更にもう一つの問題である。
すなわち、特許請求の範囲の記載は排他的技術的思想たる発明についての独占権たる特許権の存在を一般の第三者に対して公示するとの機能を有し、従って法的安定性の観点より特許請求の範囲に記載されたところから無限定に拡張して解釈することが許されないことは明らかである。
しかしながら、通説及び下級審判決(例えば原木皮はぎ機事件についての旭川地裁昭和五八年三月二四日判決、昭和五五年(ワ)第六一号)が示すように、特許発明において特許請求の範囲に記載されているところのある要素が別の要素を置き換えることが可能である場合、すなわち置き換えによっても当該特許発明の目的、作用効果を達成することが可能である場合において(置換可能性)、更にそのように置き換えることが当業者にとって容易であれば(置換容易性)、その範囲に特許権の効力を及ぼしたとしても第三者にとってその予見可能性を奪うことにはならず、従って、法的安定性は充分に保つことができる。しかるところ、前述した特許制度の意義との関係において、少なくともその置換可能性及び置換容易性が認められる範囲においては特許の効力を及ぼすことは必要である。
ところで、前述のボールスプライン軸受け事件における控訴審たる東京高等裁判所の判決は、この如何なる範囲のものが均等として特許発明の技術範囲に属するかとの問題について以下の様に述べている。
「解決すべき技術的課題及びその基礎となる技術的思想が特許発明と侵害を主張される物品において変わるところがなく、したがって、侵害を主張される物品が特許発明の奏する中核的な作用効果を全て奏することとなる反面、これに関連する一部の異なる構成について、これに基づいて顕著な効果を奏する等の格別の技術的意義が認められず、かつ、当該特許発明の出願当時の技術水準に基づくとき、右一部の異なる構成に置換することが可能であるとともに、容易に右置換が可能である場合には、例外として、侵害を主張される物品は特許発明の技術的範囲に属するものとして侵害を構成するものと解するのが相当というべきである。」
すなわち、同判決は均等として特許権の及ぶ範囲について、法的安定性の観点より、前述した置換可能性および置換容易性の要件に加えて、<1>置換された要素が顕著なる作用効果を奏する等の格別の技術的意義を有しないこと、および<2>出願当時の技術水準において同置換が可能且つ容易であることを要件として加えているものである。このような要件を更に加えることは、前述した特許制度の意義から考えて発明者の保護に欠け、妥当とはいえない。特に<1>については特許法上利用発明が認められていること(特許法第七二条)に矛盾するし、また<2>の点については発明とは技術思想であり、出願以後に開発された技術にも当然に利用されうるのに、特許権の効力がかかる事後の開発からは排除されるとするのは妥当性を欠くものである。
右東京高裁判決は、法的安定性を重視するあまり、このように均等の要件を極めて狭く解釈する点で十分とは言い難いと考えるが、以下に示すように、原審判決の認定したイ号方法は、同判決において加えられた要件についても充足し、均等方法として本件特許の技術的範囲に属することは明白である。
二、原審判決の認定する本件イ号方法が均等の範囲に含まれることについて
1. 前述した通り、原審判決はイ号方法における燻化温度について表1に記載された通りであると認定しているが、そこにおいては燻化開始時における窯温度について八九〇℃ないし七九〇℃、終了時において八七〇℃ないし七四〇℃である旨が示されている。
そこで、仮に右の燻化開始時等の窯温度が、本件発明の構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」を充足しないと仮定して、この温度における置換が前述した均等の範囲に含まれるものであるかが法律適用の問題として検討されなければならない。
2. 置換可能性について
(一)本件発明の目的および作用効果
本件発明に特許性を付与し、本件特許発明の中核をなす技術思想の特徴は、LPガスの燃焼焔を発生させて吹き込むバーナーと、未燃焼のLPガスを吹き込むバーナー以外の供給ノズルとを単独型ガス燃焼室に設け、LPガスの使い分けにより、瓦素地の焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施すという点にあり、その作用効果は、本書第四、一、(2)(一)ないし(三)に述べたとおりである。
(二) イ号方法により前記本件発明の目的、作用効果が達成されていること。
被上告人らのイ号方法では、仮にその主張するような表1記載の窯温度により燻化を行っていたとしても、その方法でも事実として未燃焼LP生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地に沈着して燻化を行われていることに相違はない。すなわちイ号方法においてもLPガスの燃焼焔を発生させて吹き込むバーナーと、未燃焼のLPガスを吹き込むバーナー以外の供給ノズルとを単独型ガス燃焼室に設け、LPガスの使い分けにより、瓦素地の焼成と燻しとを、瓦素地の移動を行わせることなく一貫的に施され、ガス燃焼窯による燻し瓦が得られるのである。
従って、右表1に記載された窯温度において燻化するイ号方法により、本件発明の目的、課題、作用効果が全て達成されていることは明らかである。
以上の通りであり、前記構成要件Hにいう「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」の条件を表1に記載の窯温度とするとの置換が本件特許発明との関係で可能であることは明らかである。
(三) しかるところ、右置換はその窯温度においても、送給して充満されたLPガス等の未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地表面に沈着するとの認識に基づいて、単に窯温度を変化させ、且つ、LPガスによる燻しにより燻し瓦を得るという目的を達成しているにすぎず、その置換に目的、作用効果につき何ら特別の技術的意義を有するものでないことは明らかである。
この点は、本件明細書の記載及び出願当時の技術水準より考えて明らかであるとおり、「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」とは、瓦素地の焼締焼成完了後、燻化を行うに際し、焼成瓦素地の触媒作用とあいまって、送給して充満されたLPガス等の未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によって単離される炭化水素中の炭素を転移した黒鉛を瓦素地表面に沈着するのに当時適切と考えられている温度、すなわち、通常の燻化を行うのに適切な範囲と考えられている温度として記載されているに過ぎないことより、当然である。
(四)置換の容易性について
(1) 「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」とは、前述のとおり、通常の燻化を行うのに適切な範囲と考えられている温度として記載されているに過ぎないものである。
(2)出願当時の当業者における燻化温度の設定
前述のとおり、通常瓦製造の当業者において、一〇〇〇℃~九〇〇℃を燻化のための窯温度として適当なものであると認識されていたことは事実である(乙三六、三七参照)。
しかしながら、出願当時以前において燻し瓦製造にかかる当業者により使用されていた“だるま”窯においては甲二五の一二八頁の“だるま”窯内温度分布に示されているように窯内温度について三〇〇℃程度もの温度差が存在したものである。従って、本件特許出願前の時点で燻し瓦の製造業者において、瓦の燻化が前記適当なる温度というものが存在するとしても相当な程度の温度差にも拘わらず、燻し自体は可能であることが認識されていたことは当然である。
更に、粘土の種類により、耐火度が異なり、従って焼成温度及び燻化温度が異なってくることも当業者にとって周知の事実である。したがって、この点からも本件出願時において当業者にとって異なる条件下では異なる窯温度で燻化することが可能であることは容易に考えうるものであった。更に粘土の種類によって焼成及び燻化温度を変えなくてはならないことも当業者にとって周知であり、従って当業者としては経験に基づき当然のこととして焼成及び燻化温度を変化させてきたのである。
(五) 以上に基づくと、本件特許発明を実施するに際し、当業者としては、出願時の技術に基づき、「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」との特許請求の範囲の記載にも拘らず、他の窯の温度においても燻化が可能であるか否かを試みることは当然予想されえたところである。
(六) 以上のとおりであり、前記窯温度を表1.記載のように変更する旨の置換が、出願時において、当業者にとって極めて容易に想到できるものであることは明らかである。
(七) 従って、イ号方法における燻化時の窯温度が表1記載のとおりであるとしても、構成要件Hに記載された「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」との要素の均等方法への置換にすぎず、イ号方法は本件発明の技術的範囲に属することは明らかである。
三、原判決の誤り
1. 原判決は、均等に関する問題については何ら触れることなく、前述した通り、単に構成要件Hの「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近」の「付近」の意義について、原告(上告人)の主張するように大きい幅をもつものと解することはできないこと、およびイ号方法は右構成要件の範囲には含まれないと解するのが相当であると判示するのみである。
然るところ、前に詳述した通り、特許法第七〇条第一項の解釈として、発明の技術的範囲は特許請求の範囲に記載された要件との均等物にも当然及ぶべきところ、原審判決の認定した被上告人らのイ号方法における表1記載の窯温度は仮に「一〇〇〇℃~九〇〇℃付近の窯温度」との要件を充足していないとしても、当然に均等の範囲内に属するものであり、イ号方法が本件発明の技術的範囲に属することは明白である。
2. 従って、原判決には本件発明の技術的範囲を定めるに当たってイ号方法が均等方法に当るか否かにつき何ら判断をしなかった点において、特許法第七〇条第一項の解釈を誤った違法がある。
また、均等の点について十分なる審理をして、本件発明の技術的範囲を正しく認定し、イ号方法が本件発明の技術的範囲に属する旨認定し得た筈であったにも拘わらず、それをなさなかったのであるから、原判決の右認定には、審理不尽、理由不備、経験則違背の存在することは明らかである。
四、特許クレーム解釈について
上告理由第二点及び第三点において、本件特許発明の技術的範囲を文言解釈論及び均等論の視点から述べたが、ここに前記両論を特許発明の技術的範囲の解釈(クレーム解釈)として包括して補充する。
クレーム解釈は特許制度の中核の一つであり、特許を発明の拡がりにおいて、しかも第三者の活動を不条理に拘束しない限度において、保護することを指向するものである。文言の拡張解釈、均等論は、クレーム文言の整備において充分とはいえない特許発明に救済を与える点において、発明者、特許権者にとって必要なものであることはいうまでもないが、現今の国際社会においては、各国においてバランスのとれた保護が与えられることが、公正かつ円滑な学術、技術及び通商産業の交流にとってとりわけ不可欠となってきているという側面をも見落とすことはできない。
WIPO(世界知的所有権機構)のハーモニゼーション条約案は、すでに関係各国間の調整の過程を終え、調印の段階にある。同条約集第二一条(1)(a)及び(b)は、「クレームは、詳細な説明及び図面に徴して解釈され、特許権者の公正な保護と、第三者に対する合理的な程度の安定性を両立させるよう、解釈されるべきである旨述べ、特にクレームは用語の字句どおりの意味に限定されてはならない、と定めている(参考資料一)。
この条約の目的の中核は、クレーム解釈において狭い解釈論を従来採用してきた国を、広い解釈論を採用している国の水準に近づけることにより、「ハーモニゼーション」を達成することにある。
そこで、本件特許にみられるような数値限定を含むクレームの解釈論を比較法的な視点において、米国の判例を例にとって検討すると、
(一) 浴の組成における“シアネート約25~40%”なる数値限定のクレームの保護範囲は、46~50%のシアネートを含む浴に及ぶ(クレームはイ号方法において文言的に読み取ることができる)旨を判示した判決(参考資料二)、
(二) “40~70%の範囲の結晶度を有する重合体”なる数値限度クレームの保護範囲は、結晶度90%まで及ぶ(結晶度90%は、クレームの数値に近い)旨を判示した判決(参考資料三)。
等が見受けられる。
ハーモニゼーション条約の精神は、例えば前記に述べた程度における技術的範囲の解釈ないし特許権者の救済を求めているものと、理解すべきである。このような状況をも配慮のうえ、本件特許の技術的範囲について慎重な審理が与えられることを、切に望むものである。
第六、上告理由第四点について
原判決には、特許法六五条の二にもとづく補償金請求に関する上告人の主張につき、判決の結論に影響を及ぼすことが明白な判断を遺脱し、審理を尽くさず、判断の理由が不備であり、かつ、経験則・採証法則に違背して事実を誤認した違法がある。
一、1. 上告人は、本件訴訟において、被上告人中濃窯業が昭和四九年一月一日から昭和五八年四月一八日までの間に行った本件ガス窯一、一二四基の製造販売について、本件ガス窯は本件特許方法の実施にのみ使用されるものであるので、出願公開後の警告から出願公告までの間は右行為につき補償金の支払を求めることができる旨主張し、その内金請求を行った(第一審判決三四頁)。
2. 本件特許の出願の公開が昭和四八年一月二九日になされたこと、および、上告人が被上告人に対し昭和四八年七月九日頃到達の書面に本件発明の内容を記載して警告したことは、明らかに争われていないし、又、証拠上も明らかである(甲三)。
なお、本件特許の公告は、昭和五八年四月一九日になされ、その後昭和五八年一二月七日の補正書により特許請求の範囲が補正されているが(甲七、八号)、この時点で被上告人中濃窯業は特許出願公告に対する異議申立を行っていたものであるから(甲五の一ないし三)、右補正を含む出願経過について右被上告人が熟知していたことは明らかである。
二、1. ところが、右補償金請求について、第一審判決は全く認定を行っていない。
2. 原判決も、右の点につき直接は何ら言及していないが、被上告人中濃窯業作成のカタログ(甲五〇、五一)について「右認定に反する証拠(甲三〇、四一、五〇、五一)は、右各証拠、殊にこれらにより認められる右甲五〇、五一よりも後に被上告人中濃窯業が作成した本件ガス窯のカタログである甲二には、それまでの右窯を使用してきた瓦製造業者らの使用実績を参考に、燻化開始の最高温度を九〇〇℃を下回る温度に修正している事実に照らしてたやすく、信用することができず、他に認定を覆すに足りる証拠はない」との認定を第一審判決に追加しているにすぎない(原判決八頁四~一〇行)。
しかしながら、被上告人らは、平成六年三月二四日付準備書面(三)(平成六年三月二五日の口頭弁論で陳述された)のⅡ、三項において「従って、仮に、甲五〇、五一号証等のカタログに、燻化温度等につきどのような記載がなされているにせよ、被控訴人らが、少くとも本件特許権の出願公告の日である昭和五八年四月一九日以降において、現実に、実態として、右カタログに記載されているような温度範囲で燻化をしていない」(傍線は上告人代理人が付した)と述べている。右陳述は昭和五八年四月一九日以前においては現実に右カタログの温度で燻化した可能性があることを、自ら認めているに等しい。
したがって、原判決は、右の点について、さらに審理を尽くして判断をなすべきであるのに、かかる判断はなされていないのであるから、右の点だけをとっても、審理不尽、理由不備の違法を免れないものである。
三、しかも、前項二、2.で指摘した認定は、上告人の本件補償金請求の主張について判断するためには、明らかに不充分であり、従って、上告人の右請求の理由の有無について判断を遺脱しているものとしていうことができず、また、採証法則の違背にもとづく重大な事実誤認がある。
1. 前述のとおり、原判決が「たやすく信用できない」(同八頁四~一〇行)と評価した甲五〇、五一は、それぞれ被上告人中濃窯業自身が昭和四七年一一月頃および昭和五八年八月以降に作成配布した本件ガス窯のカタログであるところ、右各カタログには次の記載がある。
(一)甲五〇のカタログ
(1)二枚目裏6~28行
「 この方法に使用するガス炉は
(イ)「バーナー口を完全に密封出来るようにすると共に、バーナー口以外から外気が炉内に全く侵入しないように構成した倒焔窯としてその炉体に生ガスを適時に送給する供給ノズルを配置する。」
(ロ)「煙突口は絞り弁を設けて適時に排気量を最小限に絞り又は全く閉止しするようにする。」
(ハ)「ガス炉内に成形乾燥した瓦素地を積込み、一次空気を混合したLPガスを開放されたバーナー口に臨ませたバーナーに送って燃焼し、その燃焼焔の周部から二次空気を接触して完全燃焼を行い九五〇℃~一一〇〇℃までに一二時間~二〇時間を要し瓦素地の締焼焼成を完了する。」
(ニ)「バーナー口を完全に密封すると同時に煙突口の絞り弁を充分に開き、炉内には供給ノズルから生ガスを約一時間にわたって供給し、供給完了と同時に絞り弁をしめる。」
(ホ)「その供給当初は炉内室に残存する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、終わると同時に生ガスが充満し九〇〇℃~九八〇℃付近の炉温と焼成瓦素地の触媒的作用とによって、炭化水素の熱分解が進行しそれにょって単離する炭素及び黒鉛が瓦素地表面に沈着し、遊離水素と一部の生ガスの混合物が煙突口の絞り弁から外部に排出する。」
(ヘ)「その排出時にアフターバーナレにて再燃焼させ、ばい煙を出さない。」
等が大きな特長となっています。」
(符号(イ)ないし(ヘ)は、上告人が付した。)
(2)三枚目表4項、4~8行
「ベンチュリーバーナー12本にて瓦の耐火度に応じて(九五〇℃~一一〇〇℃)12時間~20時間締焼させ、その後バーナーを密閉し煙突口を絞り弁を設け(アフターバーナー)炉内温度が九五〇℃~九八〇℃になった時点で生ガスを1時間供給します。(次頁(図2)」
(3)三枚目裏「(図2)焼成データー」には、一〇五〇℃ラインというグラフ(一〇五〇℃で焼成した場合のことでおる)において、一〇〇〇℃より若干下がった温度で「燃焼生ガス入」との記載と矢印があり、九〇〇℃をやや下った温度に「生ガス入止」との記載と矢印がある。
以上のとおり、甲五〇のカタログの記載(1)ないし(3)は、被上告人が本件ガス窯を本件特許方法の実施のために使用するものとして説明し、構成要件Hとの関連では「九〇〇~九八〇℃付近」の炉温で燻化を行うことを薦めていることは余りに明らかである。
(二) 次に、甲五一のカタログ二枚目裏には、同様に「ニューファーネスK-一二五〇燻瓦瓦焼成ガス炉仕様及び概要」の4項に「ベンチュリーバーナー12本にて瓦の耐火度に応じて(九五〇℃~一一〇〇℃)12時間~20時間締焼させ、その後バーナー口を密閉し煙突口を絞り弁を設け(アフターバーナー)炉内温度が九五〇℃~九八〇℃になった時点で生ガスを1時間供給します」との記載がある。又、同三枚目裏、4項には「ニューファーネスS-三〇〇」について全く同一の記載がある。
甲五一のカタログは、被上告人らが、昭和五〇年八月に作成したものと主張しているものである(平成六年三月二四日被上告人ら準備書面(一二)、Ⅱ、一項)。
(三) また、甲四五および四六については、原判決は「原判決の認定に反する証拠」として指摘さえしていないが、右はいずれも被上告人中濃窯業の作成した本件ガス窯のカタログであり、甲四五は、甲五一と同じ、甲四六は別のカタログである。甲四五、四六にも、甲五一と全く同じ記載、すなわち「九五〇℃~九八〇℃で」燻化を行うことが「仕様書及び概要」の各4項に記載されている。
(四) 被上告人中濃窯業は、工業用炉の専門メーカーであり、右の如く昭和四七年および昭和五〇年頃に作成した自らの製品についてのカタログに、その使用方法として燻化の温度を明確に記載し、しかも、更に八年後の昭和五八年八月に本件特許が公告されるまでの間かかるカタログを使用し、特許公告後の昭和五九年二月頃にはじめて甲二のカタログのように右の明瞭な記載を削除した事実からみて、「甲五〇、五一のカタログに記載された燻化の温度条件は現実に使用されない温度であった」との後の弁解を真実として認定することは、到底合理的な採証法則に合致しないものである。
(五) また、甲五〇、五一の信用性を否定した原判決が依拠した証人森田清勝(被上告人中濃窯業の取締役である)の証言は、技術的に詳細を極めており、かかる被上告人中濃窯業が、一〇年近くも誤ったデータのカタログを放置するとは措信し難いことに加え、右森田証言によれば、中濃窯業は、本件ガス炉を納入した焼瓦製造業者に対し、焼成方法の指導を行っていたものである。すなわち、同証人の平成元年九月六日証人調書19丁表末二行~同丁裏4行に
「中濃窯業さんのほうで焼き方について、こういうふうな焼成をしてくれとか、こういうふうにやってくれということを指導なさるんですか
基本的には、窯を納めるときに指導はいたします。
自分のところとしては、こういうふうにこの窯を使用してくれと。そういう指導をする。
使い方からはじまりましてね。」
と記録されているが、右証言部分は、窯のメーカーとそのユーザーとの関係から極めて通常のことである。そうすると、甲五〇、五一のカタログの前記記載(特に、燻化のためのLPガスの導入時の温度)は、現実に被上告人中濃窯業により他の被上告人らに推められ被上告人らはこれを現実に使用していたことを合理的に推認させうるものである。
(六) 次に、甲二のカタログは同カタログの他の頁である甲四七と併わせ、昭和五九年二月以降に被上告人中濃窯業により作成されたものであるが(右作成時期については、甲四七に昭和五八年および同五九年一月までに購入した顧客が記載されていること、および、平成三年二月二八日の証人森田清勝の証人調書12丁表から明らかである)、奇妙なことに右甲二のカタログには、焼成燻化の温度条件が具体的に記載されておらず、焼成温度と焼成サイクルの関係についてのグラフが掲載されているだけである。かかる変更は、甲四五、四六、五〇、五一のカタログにおいて前述のように詳細かつ具体的に使用方法を記載していた事実に徴して、極めて不自然である。
しかも、右のグラフは、甲五〇の図2に比較して著しく小さく、グラフの目盛りも狭く大変に読み難いものである。
従って、原判決が、かかる甲二のカタログをもって「殊にこれらにより認められる右五〇、五一よりも後に被控訴人中濃窯業が作成した本件ガス窯のカタログである甲二には、それまでの右窯を使用してきた瓦製造業者らの使用実績を参考に燻化開始の表面温度を九〇〇℃を下回る温度に修正している事実」を認定したことは、合理的な採証法則に全く相反するものである。
(七) 加えて、原判決で採り上げられたいかなる証拠をもってしても、被上告人中濃窯業の甲四五、四六、五〇、五一のカタログや右被上告人の指導にもかかわらず、他のすべての被上告人らが、各々本件ガス窯の使用開始当初から直ちに右甲四五、四六、五〇、五一の記載から離れて、八九〇℃以下の燻化温度を採用したことを認めるべき証拠は全く存在しない。
従って、仮に、百歩も千歩も譲って、後日被上告人らが原判決の認定した燻化温度等一覧表記載の条件を実施したとしても、それは、せいぜい、本件特許出願の公告された昭和五八年八月以降、あるいは、各証拠の作成時においてそうであったであろうということにすぎない。
四、特許法六五条の二に基づく補償金請求権は、いうまでもなく特許出願公開日から公告日までの期間中における被上告人(および被上告人ら)の行為に関するものであり、公告後に被上告人らの方法が変更されたからといってそれ以前の補償金請求権が消滅するものではない。
従って、本件特許の出願公告日以前における被上告人らの行為が構成要件Hに該当していたことが全証拠に徴し明らかであり、あるいは、少くとも前述のとおり被上告人らが原審で公告日以前の構成要件Hの該当可能性を自白していたと認められる本件において、上告人の補償金請求について、その理由の有無につき、何らの認定判断をせず、あるいはイ号方法の変更の時期についての事実認定を全く行わず、ないしは事実誤認によって区別をしなかった原判決には、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな判断の遺脱、理由不備、経験則・採証法則違反による事実誤認の違法が存することは明らかである。
第七、上告理由第五点について
原判決には、被上告人中濃窯業に対する共同不法行為にもとづく損害賠償請求についての、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな、判断の遺脱、理由の不備、経験則違背・採証法則違背による事実誤認の違法がある。
一、上告人は、本件特許の出願公告日である昭和五八年四月一九日以降の被上告人中濃窯業の行為につき、主位的に本件特許権の間接侵害にもとづき生じた損害の賠償を求めたが、さらに予備的に、「被上告人中濃窯業が、本件特許権を侵害することを熟知しながら、本件ガス窯を製造し、更に瓦製造業者に本件ガス窯を販売するに当っては、使用方法として燻し瓦をイ号方法によって製造するよう指導説明していたのであって、その余の被上告人らに本件特許権侵害を勧めたのであるから、共同不法行為者にも当る」旨主張し、右不法行為により蒙った損害の賠償の内金を請求した(第一審判決一八頁一〇行~一九頁三行)。
二、しかしながら、第一審判決および原判決は、いずれも間接侵害にもとづく請求(右主位的請求)を認容しない旨の判断を示しながら、右予備的請求について全く判断を示していない。
三、1. 当然のことながら、共同不法行為の主張と間接侵害の主張とは、要件事実を異にする。間接侵害の主張においては、本件ガス窯が本件特許方法の実施のみに使用されるものであることを主張立証することを要するが、右の間接侵害が成立しない場合においても、直接侵害を唆すことによる共同不法行為が成立する。
2. 本件における直接侵害については、第一に、上告事由その一ないし三に詳述したとおり、被上告人中濃窯業以外の被上告人らの実施していたイ号方法の構成要件Hの該当性が、従って、直接侵害が認められるべきである。
第二に、上告事由第四に述べたとおり、仮に百歩も千歩も譲っても被上告人らは本件特許出願の公告後の時期において侵害行為を継続していたことは疑問のないところである。
3. 被上告人中濃窯業の行為については、上告事由その四に述べたとおり、甲四五、四六、五〇、五一のカタログを配布し、本件ガス窯を製造販売し、その顧客に対し本件ガス窯の使用方法を指導もていたものであり(証人森田清勝の平成六年九月六日の証人調書19丁表末二行~同丁裏四行)、かかる行為はどれほど短く見ても被上告人中濃窯業がカタログを修正し甲二のカタログに変更した昭和五九年二月まで続行したことは甲四五、四六、五〇、五一、甲二、甲四七および右証人森田清勝の証言(平成三年二月二八日の証人調書12丁表)から疑念の余地がなく認定されうる。
4. ちなみに、被上告人中濃窯業の甲五〇のカタログは、殆んど、本件明細書(甲一)の複製というべき表現が多見され、右被上告人が本件ガス窯を販売するに際し、当時出願中であった本件特許方法を実施させることを積極的に意図していたことは、次項に述べるとおり甲五〇と甲一の文言を比較しただけで明瞭である。(おそらく当時、右被上告人は、本件特許が成立しないと考えたか、これを阻むことを意図したのであろうが、そうであるからと言って、右被上告人の故意・過失が阻却される訳ではないことも当然である。)
5. 前述のとおり、甲五〇は、被上告人中濃窯業作成のニューファーネスK1250のカタログである。
この二枚目裏側は、右窯の特長及びこの窯による燻し瓦の製造方法が以下の通り記載されている。
(1)「 従来の燻し瓦生産はだるま窯によって瓦素地を焼成したのち、松葉あるいは松薪材の燻焼により黒色煙を出している状態ですが、ニューファーネスK1250は締焼、燻焼共に一貫してガスを用いますので・・・ばい煙が出ず、公害防止に対する大きな特徴になっています。」
(2)(イ)「バーナー口を密封できるようにすると共に、バーナー口以外から外気が炉内に全く侵入しないように構成した倒炎窯としその炉体に生ガスを適時に送給する供給ノズルを配置する。」
(ロ)「煙突口に絞り弁を設けて適時に排気量を最小限に絞り又はまったく閉止しするようにする。」
(ハ)「ガス炉内に成型乾燥した瓦素地を積み込み、一次空気を混合したLPガスを開放されたバーナー口に臨ませたバーナーに送って燃焼し、その燃焼炎の周部から二次空気を接触して完全燃焼を行い九五〇度C~一一〇〇度Cまでに一二時間~二〇時間を要し瓦素地の締焼焼成を完了する。」
(ニ)「バーナー口を完全に密封すると同時に煙突口の絞り弁を充分に開き、炉内には供給ノズルから生ガスを約一時間にわたって供給し、供給完了と同時に絞り弁をしめる。」
(ホ)「その供給当初は炉内室に残存する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、終わると同時に生ガスが充満し九〇〇度C~九八〇度C付近の炉温と焼成瓦素地の触媒的作用とによって、炭化水素の熱分解が進行しそれによって単離する炭素及び黒鉛が瓦素地表面に沈着し、遊離水素と一部の生ガスの混合物が煙突口の絞り弁から外部に排出する。」((1)および(2)(イ)ないし(ホ)の符号は上告人代理人が便宜のため付した。)
右(ホ)によれば、このカタログの配布により被上告人中濃窯業は、燻化が九〇〇℃~九八〇℃付近の炉温によりされることを強調しており、この方法を窯の購入者にすすめていたことは明らかである。
(ヘ) 甲五〇の三枚目裏には、図2として、焼成データ1が記されている。
右のデータは、最高焼成温度が一一〇〇℃の場合(耐火度の高い粘土の場合、締め焼きの最高温度が高い。)と最高焼成温度が一〇〇〇℃以下の場合(耐火度の低い粘土の場合、淡路の土はその例である。)と、わざわざ記載している。
甲五〇の右(イ)ないし(ホ)の文章と、本件発明の特許明細書(甲一の一)の文言を比較すると次のとおりである。
甲五〇の前記(イ)は、甲一の一3欄2行目以下の
「バーナー口を完全に密封できるようにすると共に、前記バーナー口を封鎖することによって炉内に外気が侵入し得ないように構成した倒炎式窯とし、その炉体に前記LPガスを未燃焼状態の生ガス状態で、コックの開放によって送給できる供給ノズルを、バーナーへのガス燃料送給路から分岐して設ける。」と殆ど同じである。
甲五〇の前記(ロ)は、甲一の一の3欄8行目以下の
「煙突口には絞り弁を設けて適時に排気量を最小限に絞り又は全く閉鎖し得るようにする。」と殆ど同じである。
甲五〇の前記(ハ)は、甲一の一3欄10行目以下の
「 焼成窯内に、成型乾燥した瓦素地を装填し、一次空気を混合したLPガスを開放されたバーナー口に臨ませたバーナーに送って燃焼し、その燃焼炎の周部から二次空気を接触して完全燃焼を行わせ、約一二時間掛けて窯温一〇〇〇度C付近に昇温し、以上によって瓦素地のあぶりと締焼焼成を完了する。」と殆ど同じである。
甲一の一の前記(ニ)は、甲一の一の3欄17行目以下の
「バーナー口を完全に密封すると同時に煙突口の絞り弁を充分に開き、炉内には供給ノズルから生ガスを約一時間三〇分にわたって供給する。」と殆ど同じである。
甲五〇の前記(ホ)は、甲一の一の3欄20行目以下の
「その供給頭初は炉内室に残在する酸素の接触によってわずかに燃焼酸化するが、それが終わると同時に生ガスが充満し九〇〇度C~九八〇度C付近の窯温と焼成瓦素地の触媒的作用とによって、LPガスの主成分たるC3H4・・・の炭化水素の熱分解が進行し、それによって単離する炭素及び炭素の転位によって結晶化した黒鉛が瓦素地表面に沈着し、遊離水素と生ガスの混合物のごく一部が煙突口の絞り弁から外部に逃失する。」と殆ど同じである。
以上のとおり、被上告人中濃窯業は本件特許発明を完全に盗用して本件ガス窯を販売し、購入者に本件特許方法を勧誘説明してきたことは明瞭である。なお、甲五一のカタログにおいても、燻化は「炉内温度が、九五〇度C~九八〇度C」で行うと記載している(五頁)。右カタログ作成時、被上告人中濃窯業は、既に二五〇基の据え付けたとしており(三頁)、従って、実際に採用されていた燻化条件を知らなかったと言うことは絶対にありえない。
四、1. 以上のとおり、本件は被上告人中濃窯業の共同不法行為が稀に見る程明らかな事例であり、間接侵害にもとづき判断したのみで、共同不法行為にもとづく請求について何らの判断を行わなかった原判決には、結論に影響を及ぼす事項についての判断の遺漏がある。
2. 仮に、原判決が右判断を行わなかったことが、他の被上告人らの直接侵害が存在しないとの認定に因る場合には、そもそもかかる認定自体に採証法則違反の違法があることは、上告事由その一ないし三のとおりであるので、本書第三ないし第五項の主張を引用する。
以上
表1
(原判決を引用する第一審判決添付、別紙九 燻化温度一覧表、但し、判決の認定に従い丹羽靖につき訂正)
<省略>